NPT(核拡散防止条約)は、①核保有国による核軍縮、②非保有国への核不拡散、③原子力の平和利用、を三本柱にして運営されています。
本日未明、岸田総理はニューヨークの国連本部ではじまったNPTの再検討会議に出席し、英語で演説を行いました。
岸田総理の演説内容のポイントは…
1.核保有国に核戦力の透明化を求める
2.NPT体制の維持・強化のために各国へ呼びかけ
3.日本の行動計画(ヒロシマ・アクション・プラン)の表明
…となるでしょうか。
とはいえ私には、日本の総理大臣によるこの種の発言など何ら興味の対象ではございません。
安倍であれ、菅であれ、毎年8月6日になると我が国の総理大臣は「核兵器の無い世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます」と演説をしていますが、そのくせ、例えば2017年2月10日の日米共同声明では我が国の防衛について「核および通常戦力の双方によるあらゆる種類」の軍事力を使った「コミットメントは揺るぎない」と平然と言ってのける。
2018年1月26日の国会でも当時の安倍総理は「通常兵器に加えて核兵器による米国の抑止力を維持していくことが必要不可欠だ」と答弁されています。
こうした矛盾発言を繰り返されると、無辜の民間人を標的にした原爆投下という米国による大虐殺行為に対する怒りも、被爆し犠牲となられた人たちに対する共感や哀悼の意もすべて単なる社交辞令だったのかとがっかりさせられます。
さて、そのうえで一人の国民として「核」について考えてみたい。
意外と知られていませんが、これまで自民党政権の核に関する公式見解は「攻撃的なものでなければ核兵器保有は憲法に違反しない」とするものです。
例えば、1957年の参議院内閣委員会での岸信介総理の答弁、1978年の福田赳夫総理の国会答弁、2002年の早稲田大学での安倍晋三官房副長官の講演などなど、これらの発言の基準となっているものは歴代内閣法制局長官たちの一貫した国会答弁です。
その中でも最も短くわかり易いと思われるものは次の答弁です。
「自衛のための必要最小限度を超えない実力を保持することは、憲法9条2項においても禁止されていない。したがって右の限度の範囲内にとどまるものである限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わずこれを保有することは同項の禁ずるところではない。したがって核兵器のすべてが憲法上持てないということではなくて、自衛のため必要最小限度の範囲内に属する核兵器というものがもしあるとすれば、それは持ち得ると。ただし非核3原則という我が国の国是とも言うべき方針によって一切の核兵器は持たない、こういう政策的な選択をしている。これが正確な政府の見解です」(参議院・予算委員会、1982年4月5日、角田法制局長官説明=要約)
一見、ごもっともそうなご説明ですが、この答弁を聴いて「必要最小限度を超えない実力」を明確にイメージできる人などいるのでしょうか。
実はこの「必要最小限度」という内閣法制局の造語こそ、我が国の安全保障議論をながらく混乱させてきた元凶です。
もともと国際法上、1837年のカロライン号事件以来、確立された「自衛の3要件」というものがあります。
要件① 急迫の侵害があること
要件② 他に適当な対抗手段がないこと
要件③ 必要な限度の実力行使に止めること
要件③の「必要な限度に止めること(相対性・均衡性)」を素直に用いれば簡単にわかることなのに、なぜか日本政府(内閣法制局)は「必要最小限度」という言葉を使いだした。
例えば「相手の侵害に応じて必要な限度」とは、一般的にいえば「目には目を」「拳骨には拳骨を」ということであり、軍事的には「通常兵器に通常兵器で」「核兵器には核兵器で」ということであって、実に単純な話です。
要するに大きい小さいの問題ではなく、自衛において大事なことは「過剰防衛は駄目」ということに過ぎないのだと思います。
この「必要最小限度」という国際社会では全く通用しない言葉で防衛問題が議論されているがゆえに、いつまでたっても我が国は戦後的防衛論(属国的防衛論)の枠をでることができません。
まことに残念です。
なお、核問題については次のような国際的議論もあります。
核兵器保有国同士では、「ファースト・ストライクは認められていないがファースト・ユースは認められる」「いや認められない」といった議論がなされています。
ファースト・ユースというのは、相手の通常戦力による先制的侵攻があり、その規模が圧倒的に大きいものである場合に、先に核兵器を使用して対抗することであり、「相手の侵害をその原点に戻すまでは、その侵害に応じた反撃だから核であっても自衛の3原則の範囲内だ」と米国は主張しています。
つまり、ファースト・ストライク(核による先制攻撃)は認められていないが、通常兵器による侵害があった場合には核による反撃(ファースト・ユース)が認められる、というものです。
当然、中国やロシアなどはこれに反対しています。
実に興味深いことですが、権威主義国である彼らのほうがむしろ「相手が核攻撃をするまでは核を使うべきでない」と言っています。
むろん米国は核兵器を通常兵器紛争の抑止力として有効に機能させたいのでしょうし、米国との核戦争に自信をもてない中国やロシアはそれを避けようとしているわけです。
我が国は、建前では「核兵器の廃絶」を訴えつつ、現実には米国の核の傘に頼っています。
ゆえに米国の主張に追随せざる得ないのが本音、というところです。