ナチスによる迫害から逃れることのできたハンナ・アレントは、後に次のように述べています。
「大衆は目に見える世界の現実を信ぜず、自分たちのコントロールの可能な経験を頼りとせず、自分の五感を信用していない。それ故に彼らには或る種の想像力が発達していて、いかにも宇宙的な意味と首尾一貫性を持つように見えるものならなんにでも動かされる。事実というものは大衆を説得する力を失ってしまったから、偽りの事実ですら彼らには何の印象も与えない」
世の人の多くは「全体主義は独裁者によってつくられる」と誤解していますが、実はそうではありません。
全体主義は、大衆によってつくられます。
大衆とは、オルテガの言葉を借りれば「主体性を喪失し、冷静な選択を拒絶した人たち」のことです。
だから大衆は、常に世論に流され易く、多数派に与して少数派にマウントをとりたがり、事の真偽に関わらず状況を安易に説明してくれるご都合主義なリーダーを求めます。
どんなに嘘つきなリーダーでも、大衆にとっては厳しい現実から目を逸らせてくれる便利な存在なのでしょう。
ヒトラーは「大衆は小さな嘘より大きな嘘の犠牲になりやすい」と言い、ゲッペルス(ナチス宣伝相)は「嘘も100回言えば真実になる」と言っていました。
かつて我が国にも「民主党政権」という悪夢の政権と、最悪のリーダーが誕生したことがあります。
思い起こせば「事業仕分け」だの、「コンクリートから人へ」だのと、頓痴気な「改革」を叫んでいました。
そんな民主党政権でも発足当時は支持率が70%を超え、圧倒的多数の国民が鳩山首相に期待をしていました。
結果、どうなったでしょうか…
政治家や政党が「改革」を叫んだとき、その「改革」が本当に正しいのかどうか、常に疑いをもつことこそが「保守」です。