今朝、自宅のポストを開けたら参議院選挙の『選挙広報』が入っていました。
昨夜遅くに投函されたものか、本日の朝一番で投函されたものかはわかりませんが、おそらくは町会の皆さんが手分けして配布されたものでしょう。
昨今の選挙では期日前投票の投票率が高くなっていますので、有権者への選挙公報の配布は、できるだけ選挙戦序盤での配布が妥当のような気がします。
選挙管理委員会は投票率を上げるために期日前投票を宣伝しているのに、選挙公報の配布が投票日の前々日では辻褄が合いません。
むろんそれは町会への注文ではなく、選挙管理委員会への注文です。
さて、あらためて『選挙公報』をみますと、目下、新型コロナ感染問題、ウクライナ危機、コストプッシュ・インフレ等々の政治問題が暮らしに大打撃を与えていることから、どの候補者も「安全」や「平和」というキーワードを多用しています。
とりわけ、ロシアによるウクライナ侵攻は、日本国民が改めて「平和」について考える衝撃的事件だったのではないでしょうか。
その衝撃に対する反応は、「憲法9条さえ守っていれば平和だ」から「核を保有すれば攻撃されない」などというものまで実に様々ですが、戦後日本人がもつ「平和観」に大いなる違和感を有するのは私だけでしょうか。
例えば戦後日本の「9条平和主義」は「他国への侵略戦争をしない」という点では、全ての国連加盟国の平和主義と何ら変わることがないことを認識しなければなりません。
即ち憲法9条は、日本国だけの専売特許ではないのでございます。(交戦権はこれを認めない、だけが日本特有)
1923年に制定された『不戦条約』という国際法にも憲法9条と同様の規定があり、いまだこの国際法は効力を有しています。
要するに、国連加盟国にして「我が国だけは単独で国連加盟国に侵略しても許される」などという、平和主義でない国などどこにも存在しないのです。
また、もし他国を侵略する国連憲章違反の国が現れた場合には、①この侵略国に対し「侵略を止めよ」と国連を通じて勧告し、それに応じない場合には、②国連を通じて各国と連携して経済制裁をかけ、それでも応じない場合には、③国連を通じて陸海軍の行動をとる(武力制裁)のが、国連加盟国の義務(obligation)なのでございます。
この①②③を合わせて国連の「集団安全保障措置」(集団的自衛権ではない)ということを、日本国民は理解しなければならないと思います。
集団安全保障措置が国連によってとられていない場合にかぎり、各国は個別的自衛の権利(right)行使が許されます。
だからその自衛行動をとる被占領国は必ず国連にその旨を報告しなければならず、集団安全保障措置が機能するに至ったときには自衛行動を止めてその国連武力制裁に参加するのが原則です。
また被占領国の要請に基づき他国が集団的自衛権を行使する権利が求められますが、要請がないのに当該国に侵入することは許されません。
当然のことながら、権利は行使しても良いが行使しなくてもいい。
なお、国連の義務違反に罰則は定められていませんが、義務違反は国として恥ずべきことにあたります。
以上のことを理解したうえで「平和」だの「国防」だのと言っている国会議員や候補者はほとんど皆無だと思われます。
例えば、タカ派と呼ばれる人たちの中には「自衛権は自然権である」とし、個人の自衛権(正当防衛)と国家の自衛権を混同している人たちがいますが、少なくとも「国家の自衛権は国際法(慣習法)の定めに従うもの」であり、1837年のキャロライン号事件の結末として英米間で定められた①必要性の原則、②均衡性の原則、③即時性の原則の全てを満たすものでなければならないと思います。
これは即ち「急迫不正の侵害があり、それを廃除するに他の手段のない場合において、敵の侵害手段に釣り合った手段で反撃する」かぎり認められるものということです。
つまり「目には目を」「1個師団には1個師団を」「核には核を」を認めるものであり、またあくまでも運用上の問題ですので防衛力整備の量的制限には関係がありません。
それを歴代の自民党政権は、国際的にも理解されていない「必要最小限」という極めて具体性に欠けた言葉を用い続けて防衛力整備を量的に制限してきたのです。
このことは、実に罪深いことです。
我が国には今、集団安保の集団的措置というobligationを果たそうともせず「憲法9条を世界に普及すれば平和になる」と主張している人たち、また「対話外交を基軸に平和を創出すべきだ」と主張している人たち、あるいは「集団的自衛権を行使できないと日本は米国に見捨てられる」と主張している人たちで溢れていますが、彼ら彼女らの共通点は「軍事」と「国際法」への無理解にあると思われます。
前述のとおり、憲法9条(=不戦条約)は既に世界に普及していますが、それでも紛争や武力衝突は耐えません。
対話外交が効力を有するとすれば、それは軍事力という背景があってのことです。
米国は日本に対して「集団的自衛権」の行使など求めておらず、求めているのは「集団安全保障措置」への参加です。
こうした軍事と国際法への無理解からくる戦後日本特有の「平和主義」こそが、世界から「利己的な平和主義」と揶揄される所以です。