登戸土地区画整理事業は革新市政の産物!?

登戸土地区画整理事業は革新市政の産物!?

きのう(6月28日)、川崎市議会にて一般質問に立ち、『登戸土地区画整理事業』について質問をしました。

『登戸土地区画整理事業』(以下、登戸区画整理事業)は事業開始以来、すでに34年を過ぎています。

ここ数年は集団移転方式などの工夫が実って、ようやくある程度の目処がついて参りましたが、残念ながら当該事業に34年もの歳月を費やしてしまったことにより、長きにわたって登戸駅、向ヶ丘遊園駅周辺のまちづくりを停滞させ、経済的発展を阻害してしまった、という事実は否めないところです。

そもそも土地区画整理事業とは、例えば『新百合ヶ丘駅周辺特定土地区画整理事業』(以下、新百合区画整理事業)がそうであったように、数人の地権者がもつ広大な未開発な用地、かつ道路や公園などの公共施設が不十分な地域において区画を整理し、それによって地権者が得られた権利に応じて少しずつ地権者に土地を減歩してもらうことで都市形成を図るという事業です。

新百合ヶ丘区画整理事業は、都市計画決定から換地処分公告まで僅か8年で終了しておりますが、登戸区画整理事業ほどに時間を要しなかったのは、どうみても地権者数の違いにあろうかと思われます。

登戸区画整理事業のように758人もの地権者がいて、ある程度の都市化が進んでいた地域においては「土地区画整理事業」ではなく、駅前の「再開発事業」を先行して行っていくほうがはるかに効率的に道路整備が進み、道路整備とともに街と各種の都市施設が効率よく整備されていったはずです。

過ぎたこととはいえ、当該地域において「土地区画整理事業」という大きな網をかけてしまったことは実に悔やまれるところです。

当該地域のような大勢の地権者がいるところで「土地区画整理事業」を行うに至ったのか、当時の行政としての判断と経緯について質問したところ、当局からは「地元権利者等の皆様で組織された“懇談会”で議論を重ね、区画整理手法を基本とする答申を頂いて事業判断に至った」というものでした。

行政としてのプロフェッショナルな判断が欠如していたことは、実に残念なことです。

これが、都市計画ゼロの「革新市政」の最大の欠点とも言えましょう。

なお、都市形成は一般的に駅を中心に道路網が広がっていきますが、建築物の寿命や人口動態の変化、あるいは新たに求められる都市ニーズなどもあって、何十年に一回かは駅周辺の街全体をリニューアルしなければなりません。

その際、公園や緑地、あるいは容積率を使い切っていない市の施設用地など、ある程度の公共用地が確保されていることが重要な条件となります。

なぜなら、そうでないと再整備上の「打手返し」(ウッテガエシ)ができないからです。

そこで、登戸区画整理事業の事業完成後の公共用地をみますと、小さな街区公園がたった3箇所あるだけで、どうみても将来的に必要とされる打手返し用の、道路を除いた公共用地が少ない。

昨日の答弁でも明らかなように、そうした用地は事業面積に対して僅か4.79%しかありません。

このことは、50年後、60年後、駅前を再開発する際の大きなネックになります。

計画策定の際、どうしてもっと公共用地(打手返し用地)を確保することを考えなかったのでしょうか…

政治行政というものは学問の分野でいうと、いわば社会科学に分類されるほどに、ある程度の知識、見識、専門性が求められます。

誤解を恐れず言えば、大衆の意見が常に正しいとは限らないのです。

とくに都市計画や都市基盤整備においては個々の住民に利害関係が生じてしまうため、どうしても合意形成に歪みが出ます。

登戸区画整理事業が30年以上も続いていること、打手返し用の公共用地が少ないこと、街の玄関ともいえる駅前広場のスペースが十分に確保されていないこと等々、当時(34年前)の川崎市には、議会にも行政にも都市計画のプロフェッショナルがいなかったことは誠に残念です。

まちづくりのハードウェア整備に失敗してしまった以上、あとはソフトウェアで補っていくほかない。