事務次官とは、省内官僚の最高位です。
財務省の事務次官である矢野康治氏が本日付で退任します。
新たに事務次官についた茶屋栄治氏を日本経済新聞は次のように評しています。
「いつも変わらぬ冷静な語り口と物腰の柔らかさ。周囲が「穏やか」と口をそろえる人柄は、雑誌への寄稿で財政再建を熱く説いた前任次官の矢野康治氏と対照的だ」(日本経済新聞)
よせばいいのに矢野氏が雑誌(文藝春秋、2021年11月号)への寄稿で財政再建なんか熱く説いてしまったがために、財務省の言う「財政破綻論」が実は虚構に過ぎなかったことがかえって世に広く出回ってしまいました。
財務官僚たちからすれば「矢野さんも余計なことをしてくれた…」という思いではないでしょうか。
「せっかく俺たちが長年かけて“財政破綻論”を世に拡散して省益を守ってきたのに、あいつのせいで…」と。
その矢野氏とは対照的な人物が事務次官に就任されたことが、いかにもそのことを物語っているように思えます。
改めて矢野論文を読むと、氏が「貨幣」について全く理解していないことがよく解ります。
矢野論文は、次の一文ではじまります。
「最近のバラマキ合戦のような政策論を聞いていて、やむにやまれぬ大和魂か、もうじっと黙っているわけにはいかない、ここで言うべきことを言わねば卑怯でさえあると思います。数十兆円もの大規模な経済対策が謳われ、一方では、財政収支黒字化の凍結が訴えられ、さらには消費税率の引き下げまでが提案されている。まるで金庫には、無尽蔵にお金があるかのような話ばかりが聞こえてきます」
矢野氏が「金庫には、無尽蔵にお金がある」ことを否定している時点で、彼が「貨幣」について何も理解していないことは明白です。
矢野さん、貨幣とは「モノ」ではないんですよ。
そもそも金貨銀貨の時代じゃぁあるまいし…
政府はどこからかモノとしての貨幣を調達してきて支出するわけではありません。
貨幣とは、債務と債権の記録、つまりは「貸借関係」です。
例えば、私たちが銀行に預けている「銀行預金」もまた貨幣です。
銀行預金は、おカネを預けているヒトにとっては債権ですが、預かっている銀行にとっては債務です。
事実として、金融機関が預かっている預貯金は、金融機関のバランスシート(貸借対照表)の「負債の部」に計上されています。
よく誤解されていますが、民間銀行は企業や家計から預金を集めて、それを又貸ししているのではありません。
実際には、民間銀行は企業等に貸し出しを行うことで、預金という通貨(預金通貨)を生み出しています。
実は私たちが手にしている紙幣はもともと、誰かが銀行から借りたおカネ(預金通貨)です。
そうです、銀行は「無」から貨幣(預金通貨)を創出(信用創造)でき、それが引き出され現金(日銀の債務)として世に出回っています。
つまりは、現金が銀行預金をつくるのではなく、銀行預金が現金を生んでいるのです。
これが貨幣の本質です。
因みに、国債のことを「国家債務」だと誤解しているお〇〇さんが多い昨今ですが、国債とは「国庫債券」の略です。
債券とは、銀行でいえば「銀行預金」という負債です。
銀行が通帳に数字を書くだけで「預金」という債券、あるいは貨幣を発行できるのと同じように、政府も「国債」という債券を発行することで論理的には無限に貨幣を発行することが可能です。
「論理的に無限に…」と言ったのは、むろんインフレ率が制約になるからです。
因みに、詳しい説明は省きますが、いま日本で進行中のコストプッシュ型インフレは制約にはなりません。
ここで重要なことは、金銀といった貴金属とは異なり、貨幣(貸借関係)には物理的な制約などないということです。
即ち、国庫には無尽蔵におカネ(貨幣)があるのでございます。
どんなエリート官僚でも正しく理解できてないことがたくさんあります。
ともあれ、こうした貨幣や財政にまつわる真実を世に広める貴重なきっかけを、矢野氏は現役の財務事務次官としてつくってくれたのですから、ひょっとするとその功績は大きいのかもしれない。