主流派経済学の貨幣概念は「商品貨幣論」であることから、残念ながら彼らには「貨幣とは何か」という本質に至ることができないらしい。
商品貨幣論によれば、貨幣は金や銀などの貴金属のようなその内在的な価値ゆえに交換手段として使われている「モノ」として理解されています。
即ち、貨幣が支払いの際に受けたとられるためには貴金属による裏付けが必要になる、というわけです。
たしかに歴史上、政府が自国通貨の裏付けに金や銀の準備を保有していたことがあるのは事実です。
例えば江戸時代におても徳川幕府の通貨発行量は金や銀の保有量に制約されていました。
しかしながら、私が生まれた年である1971年に米国ニクソン大統領がドルと金の兌換を停止して以来、主権通貨国は貴金属の裏付けを有しておりません。
それでも貴金属の裏付けのない貨幣は立派に取引手段として使用されており、経済活動を可能にしています。
ではなぜ貴金属による裏付けのない貨幣が受け取られているのでしょうか。
この質問に商品貨幣論が答えることは不可能なようです。
一方、商品貨幣論に代わる貨幣概念として説得力をもつのが「信用貨幣論」です。
信用貨幣論とは、ざっくり言うと「貨幣とは、債権と債務の記録媒体にすぎない」ということになります。
例えば、私たち日本国民のお財布の中に入っているお札には「日本銀行券」とあり、日本銀行がそのお札の発行者であることが示されています。
つまりこれは、千円札、五千円札、一万円札が日本銀行の「負債」であることの証明です。
そして、そのお札を保有している者こそが債権者となります。
このように私たちは、平素から日銀が発行したお札という「負債」を使ってモノやサービスの売り買いをしているわけです。
何が言いたいのかと言いますと、おカネそのものが負債なのだ、ということです。
一国の経済が成長する過程において貨幣(負債)の量も同時に増えていくのは必然です。
なお貨幣(負債)を発行できるのは何も政府だけではありません。
例えば民間銀行が企業や個人に融資(貸出)をすることでも通貨(預金通貨)が内生的に発行されます。(万年筆マネー)
ただ日本の場合、20年以上にわたるデフレ(総需要不足)経済の中にあって民間銀行による貸出(預金通貨の発行)が増えていません。
だからこそ民間部門に代わって、公的部門である政府が国債を発行することで通貨量を増やしてきたわけです。
日本政府の債務残高が他国よりも多いのはそのためです。
多くの人々が誤解されていますが、日本政府が無駄遣いをしてきたから債務残高が増えたのではありません。
長きにわたるデフレだから増えただけの話です。(そもそも無駄ってなんだ!?)
冒頭のグラフのとおり、この20年間、G7で最も政府が支出していないのは我が日本です。
まこと主流派経済学には理解しがたいことでしょうが、もしも日本政府が政府支出を拡大してデフレを脱却していたならば、まちがいなく政府債務残高はもっと少なくなっていたことでしょう。
デフレが払拭されていれば、自然な経済活動のなかで民間部門が通貨(預金通貨)を発行してくれるわけですから、政府はインフレ率を調整するために通貨を回収していればよく国債(通貨)を発行する必要はなくなります。
日本よりも政府支出を拡大してきた米国は、今後さらに『米国雇用計画』で約2.3兆ドル、人的インフラ投資で約2兆ドル規模の投資を計画しています。
彼らは「投資こそが経済成長の根源である」という経済原則に立ち戻ったのです。
それに比べて日本政府ときたら、なんとかの一つ覚えみたいに未だプライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化目標を維持して一層の歳出削減を計画しています。
多くの日本国民は、この20年以上のあいだ日本政府は他国に比べおカネを使っていないのに、どうして日本政府の債務残高だけが突出して増えたのかを真剣に考えるべきです。