パスク・ロマーナとは「覇権国たるローマ帝国による平和」という意味です。
だれもが一度は聞いたことのある言葉かと思われます。
例えば19世紀はパスク・ブリタニカ(覇権国たる英国による平和)の時代であり、20世紀の西側世界はパスク・アメリカーナ(覇権国たる米国による平和)だったと言っていい。
20世紀末期にソビエト連邦が崩壊し、この30年間は米国による一極支配が続きました。
ローマ帝国であれ、大英帝国であれ、1991年以降の米国であれ、一極秩序は世界に安全と平和をもたらす。
むろん一極秩序下であっても局地的紛争は勃発しますが、それはあくまでも局地的短期的なものであって、複数の勢力圏が均衡する多極時代、二大勢力圏が対峙する二極時代に比べれば紛争や武力衝突で死ぬ人々の数は圧倒的に少ない。
このように言うと必ず「死者が少なければいいってもんじゃないだろぅ…」という批判が上がりますが、かつて福沢諭吉は「政治とは最も悪くないものの選択だ」と言いました。
なるほど、それこそがリアリズムというものでありましょう。
ご承知のとおりローマ帝国は、その軍事力と経済力をもって地中海を内海とし平和と安全の海にしました。
その後、地中海では帝国経済を繁栄させるためのヒト、モノ、カネの移動の自由が維持されたわけです。
さて、パスク・ロマーナが崩れた後の地中海はどうなったでしょうか?
なんと地中海を支配したのは海賊です。
人間にとっての根源的な願望とは身の「安全」が保障されることですが、当時、統治者に安全を期待できなくなった彼ら彼女らに残されたのは「神にすがること」だけでした。
しかもその神は、他の神との同居可能な多神教の神々ではなく一神教の神であったため、ローマ帝国亡きあとに地中海を挟んで向き合ったのはキリスト教とイスラム教です。
地中海を支配したのは、その一方であるイスラム教の海賊でした。
今でも海賊が頻発するソマリア沖を軍事的護衛なしで航行できる勇気ある民間人などいないでしょう。
当時も同様です。
信じ難いことかもしれませんが、実は19世紀前半まで地中海には海賊が出没していました。
地中海から海賊が消えたのは、フランスがアルジェリアを植民地にしてからです。
むろんフランスは人道的な見地から海賊行為を禁止したのではなく、自国の植民地を確保するために海賊を取り締まっただけのことです。
結局、英仏伊など西欧諸国による北アフリカ一帯の植民地化により、地中海がようやく海賊の脅威から開放されるに至りました。
翻って現在、世界にリベラルな秩序を構築してきた覇権国・米国による一極秩序が終焉しようとしています。
ロシアによるウクライナ侵攻はその象徴です。
覇権国としての米国亡き世界はどうなるか。
このまま地域覇権国として中国が台頭しつづければ、それを米国とその同盟国らが封じ込めることを通じて新たな国際秩序が形成されていくような気がします。
ただそのとき、米国を中心とした同盟システムは必ずしもかつてのように一枚岩ではいかない。
あるいは世界はいくつかの勢力圏に分割されるのかもしれない。
その場合の国際秩序とは、前述した「二極秩序」と「多極秩序」の中間のどこかに位置付けられるものとなろう。