戦後、日本の歴代内閣は、我が国の防衛費をGDP1%以内に抑制することを旨としてきました。
近年、中国経済の急成長とともに極東アジアの軍事情勢は大きく変化し、25年間のデフレ経済によってほとんどGDPが成長しなかった日本の防衛費は相対的に縮小しつづけてきました。
今や自衛隊の施設等では、自衛隊員が私費でトイレットペーパーを購入し対応しているほどです。
とりわけ、もっとも発生確率の高いとされる台湾有事を前にしていることもあり、自民党は防衛費をGDP2%にする提言を4月中にまとめるらしい。
岸田総理は2021年衆院選においても、GDP2%以上を念頭に増額を目指すことを党の公約として掲げていました。
こうなると、むろん左翼系のメディアやジャーナリストたちは反発します。
きのうも羽鳥のモーニングショーで「GDP2%と言ったら現在の2倍の金額じゃないか…」「そんなに国債を発行して金利を払いきれるのか…」等々、コメンテーターたちからのいかにも素人くさい反対意見が相次いでいました。
まず、金利については、日銀(中央銀行)が完全にコントロールできることが既に証明されていますので、我が国において金利が跳ね上がることはあり得ません。
そもそも、国民から徴収した税金で国債を償還している間抜けな政府は、我が日本政府だけです。
国債償還など行わず、ただただ借り換えを繰り返すのがグローバル・スタンダードです。
それに、変動為替相場制を採用し自国通貨建てで国債を発行している政府が利払に耐えきれずデフォルトする可能性を心配するのであれば、ある日突然、月が地球に落っこちてくることを心配したほうがいい。
次いで、GDP2%という防衛費が多いのか少ないのかの問題ですが、これには少し説明が必要です。
その昔、スコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)がなかった時代、即ち英国の秩序維持機構が不十分であったころの話ですが、もしも村で犯罪が発生した場合、村人全員でその犯人を追って捕まえたらしい。
そんなことは英国に限らず何処にでもありそうな話ですが、ちょっと異なるのは、村人たちが犯人を逮捕するわけですが、そのために村人たちの資産に応じて常に武器を所持することが各村民に義務付けられていたことです。
そして、その義務に違反すると厳しい罰則もありました。
これを英米法でプリベンション・オブ・クライム(犯罪の防止)と言います。
その目的は社会(村)の平和と秩序の維持、これに参加することが全員(村人)の義務である、ということです。
実はこのプリベンション・オブ・クライムこそが、現代の集団安全保障(集団的自衛権ではない)の淵源です。
日本人の多くが理解を欠いていますが、米国が主導する集団安全保障体制を国際法で位置づけたのが「国連」です。
国連憲章にも「国連の目的は集団安全保障だ」と書いてあります。
そして「すべての加盟国は、この憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならない」(国連憲章2条)のです。
要するに、米国が主導する集団安全保障に参加することが国連加盟国の責務となります。
ここで言うところの「憲章に従って負っている義務」というのが、まさにプリベンション・オブ・クライム(集団安全保障)の義務です。
我が国は1956年12月18日、何の留保事項を付けずに国連に加盟しています。
ゆえに「憲法9条があるから…」とか、「専守防衛だから…」とか、「戦争が怖いから…」とかは集団安全保障の責務を果たさなくてもいい理由にはなりません。
プリベンション・オブ・クライムですので、村人たちの資産に応じて常に武器を所持することが各村民に義務付けられていたように、国連加盟国はその資産(GDP)に応じて武器(防衛装備)を保持しなければならない義務を負っています。
現在、国連加盟国の平均的な防衛費はGDPの2~3%です。
つまり、GDPの1%にも満たない防衛費しかこれまで確保してこなかった我が国は、国連加盟国としての責務を誠実に履行していない国なのです。
しばしば、中国、韓国、北朝鮮以外の国際社会から「日本は集団安保の責務を果たしていない」と指摘されているほどです。
よって、防衛費GDP2%に反対する人たちは「日本は国連から脱退するべきだ」と主張しなければ筋が通らない。
そういう話です。
むろん我が国がGDP(資産)に応じた防衛力を整備することは、我が国固有の安全保障にも役立ちます。