昭和(とりわけ高度経済成長期)の日本では「企業は社会の公器である」と考えられていました。
多くの経営者や政治家たちが、そのように認識していたはずです。
当時の日本では、企業の利益は様々な利害関係者(ステークホルダー)に分散還元されていました。
モノやサービスを効率よく生産して顧客ニーズに応えるのみならず、利益を手にした企業は、例えば人件費を手厚くしていくことで従業員や経営者及びその家族たちにその利益を還元し、税金を納めることで国や地域社会にも利益を還元し、投資を拡大することで未来の日本人にも利益還元してきたのでございます。
即ち企業は、顧客、仕入先、従業員、経営者、株主、地域社会、未来の日本人等々、あらゆるステークホルダーのための公器だったのです。
出光佐三などは、そうした昭和を代表する偉大なる経営者の一人です。
しかしながら1990年代後半以降の我が国は、そんな公器を愚かにも構造改革の名のもとに、「今だけ、カネだけ、自分だけ資本主義」に基づく私器にしてしまいました。
私器と化した企業の利益は、主として「株主」と「経営者」だけに偏っていきました。
上のグラフは、資本金が10億円以上の企業(保険業を除く)の売上高、経常利益、配当金、減価償却費、人件費の推移です。
1995年を「1」とすると、株主への配当金の伸び率が異様に突出していることがお解り頂けると思います。
因みに、1997年の商法改正により、ストック・オプションという制度が導入され、株式会社の経営者などが自社株を一定の行使価格で購入できるようになりました。
例えば人件費を削減するなどして企業利益が増えて株価が上昇すると、ストック・オプションを行使した経営者たちの給料が上がるようになったのです。
結果、経営者たちの目は株価と株主に向かうこととなり、経常利益の多くが人件費や減価償却費(投資)ではなく「配当金」に回されたのです。
小泉内閣時代には配当金が1995年比で5倍ちかくにまで増え、それを指摘する識者もおられましたが、今では7倍ちかくにまで増えて留まることを知りません。
恐ろしいのは、2019年末以降のコロナ禍の影響で2020年の「経常利益」は減っているにもかかわらず、なぜか配当金は増え続けていることです。
株主資本主義ここに極まれり…
岸田内閣は「新しい資本主義を…」と言うけれど、そのための具体策に乏しい。