去る4月12日に内閣府が発表したGDPギャップ(総需要と潜在GDPの差)によると、2021年の第4四半期(10~12月期)はマイナス3.1%とのことです。
金額に換算すると、年間で17兆円程度の需要不足ということになります。
しかしながら、実際のデフレギャップ(需要不足)はもっと大きい。
GDPギャップは、総需要から潜在GDPを差し引いて算出されます。
総需要とは、政府と民間の消費、政府と民間の投資、及び純輸出(輸出ー輸入)と在庫変動の合計です。
一方、潜在GDPとは、その国がモノやサービスを生産するために必要な各生産要素を最大限にフル稼働した場合に実現できるとGDPのことです。
つまり、人も設備も最大限にフル稼働して実現できるGDPのことで、これを「最大概念の潜在GDP」と呼びます。
ところが、ある時期、ある人物によって、この潜在GDPの定義が変更されてしまったのです。
現在の潜在GDPの定義は、一国がモノやサービスを生産するために必要な各生産要素(労働、資本、生産性)を「それぞれ過去の平均的な水準で供給した場合に実現できるGDP」とされています。
即ち「平均概念の潜在GDP」です。
潜在GDPには、最大概念と平均概念のちがいがあるのでございます。
例えば、100メートル競争で、9.5秒の最高記録をもっている陸上競技選手がいたとします。
彼の昨年の成績をみると、9.5秒を2回も記録したのですが、調子の悪いときには10.5秒というときもあり、平均すると10秒でした。
では、彼の潜在的な能力は何秒でしょうか。
最大概念では9.5秒であり、平均概念では10秒となります。
どう考えてみても、彼の潜在的な能力は9.5秒と評価されるべきでしょう。
過去平均が潜在的な力であるはずがない。
実は小泉内閣時代、ある国務大臣によってGDPギャップを算出する際の潜在GDPの概念が最大概念から平均概念(過去平均)へと変更されてしまったのです。
恐ろしいことに現在の日本は、資本、労働、生産性を、フル稼働(最大概念)でなく「過去の平均的な稼働状況(あるいはトレンド)」により潜在GDPとして積み上げているわけです。
要するに、デフレという需要縮小経済によって、資本(工場など)や労働者の稼働率が低くなってしまうと「現在の潜在GDP」が縮小することになってしまうので、数字上のギャップはどんどん縮小し、究極的にはギャップがゼロになってしまうことになります。
どうみても、デフレギャップを小さくみせるために概念を変更したとしか思えません。
潜在GDPを平均概念で算出すると、潜在GDPの成長率は「平均成長率」に過ぎないことになります。
つまり日本の潜在GDPの成長率が、現実よりもより低く見積もられるわけです。
そこで「日本の潜在成長率が低いのは、構造改革が足らないからだ…」という理屈がまかり通ることになります。
現に、そうした理屈で新自由主義に基づく「構造改革」が過激に進められてきました。
その結果、我が国の経済はどうなったでしょうか。
説明するまでもないことですが、潜在GDPの概念を「平均概念」に変更したのは、毎度おなじみ竹中平蔵氏です。