専守防衛と占領憲法

専守防衛と占領憲法

4月1日、ウクライナ軍がロシア領ベルゴロドの燃料貯蔵施設を軍用ヘリ2機で破壊攻撃した、との報道が流れています。

軍事と非軍事の境界を意図的に曖昧にし、あらゆる情報戦を駆使するハイブリッド戦の時代のいま、この報道が事実なのかどうなのかの判断は誠に難しい。

もしも事実だとすれば、ウクライナ軍は初めてロシア領への攻撃をしたことなります。

ウクライナは我が国同様に「専守防衛」を国是としてきた国ですが、そのウクライナが初めて敵基地攻撃を行ったことになります。

これを我が国の為政者たちはどう捉えるのでしょうか。

過去のしがらみにより組み立てられた理論や占領憲法の解釈のなかで、どのように理屈をこねくり回してみたところで将来に向かっての建設的な対処方針や結論には至らない。

現実が明らかにしているように、ウクライナが国土を焼け野原にしてまで本土決戦により対処しようとしても、それでロシアに勝利することはあり得ないでしょう。

結局、専守防衛というのは本土決戦、一億総玉砕という大東亜戦争の末期と同じことを意味します。

そのことを、今回のロシアによるウクライナ侵攻で改めて認識しなければならない。

ジャブしか打てないボクサーでは引き分けに持ち込むことさえ困難です。

過去の歴史やその解釈はどうであれ、これからどうするのかという視点が重要であることは言うまでもありません。

しかしながら、それでも我が国の為政者、国会議員らは未来を切り開くための議論はしないでしょう。

というより、できる能力が疑わしい。

国会論戦を拝聴していても、ウクライナ問題と占領憲法の問題とは完全に切り離されています。

「ウクライナ問題を学ぶ」のと、「ウクライナ問題に学ぶ」のとでは大きな違いです。

それは「歴史を学ぶ」ことと「歴史に学ぶ」ことの違いに等しい。

国は悪に滅びずして愚によって滅びるのかもしれません。