長引くコロナ禍で頻繁に聞くようになった言葉の一つに「かかりつけ医」があります。
医療を受けるための入り口として大きな役割を担うことになった概念です。
しかしながら、かかりつけ医をめぐっては、患者が頼んでも「うちはあなたのかかりつけ医ではありません」と言われ、ワクチン接種や在宅療養の往診を断られるケースが発生しており、一部では裁判沙汰になっています。
問題は、かかりつけ医の定義の曖昧さにあるようです。
日本医師会のパンフレットなどを見ますと、かかりつけ医とは「何でも相談できる上、最新の医療情報を熟知して(中略)専門医療機関を照会でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師」と説明されています。
かねてから国や日本医師会は、こうした「かかりつけ医」を持つように推奨してきました。
高齢化が進むほどに、手術をしても治りにくい慢性的な病気とうまく付き合いながら生きていくことが必要になります。
そこで頼りになるのが、身近なかかりつけ医ということです。
日本医師会が一昨年行ったアンケート調査では、かかりつけ医がいると答えた人の割合は55.2%、いないと答えた人の割合が25.7%、いないけれどほしいと答えた人の割合が18.1%でした。
半分以上が「自分にはかかりつけ医がいる」と答えているわけですが、これは患者の側が一方的に「自分にはかかりつけ医がいる」と思い込んでいるだけで、残念ながら相手側の医師は「私はあなたのかかりつけ医ではありません」というケースが多いわけです。
これが、コロナ禍により炙り出された実態です。
前述のとおり、高齢者がワクチン接種の予約をとろうとしたところ、「うちはあなたのかかりつけ医ではありませんよ」と冷たく断られるケースが各地で頻発し、あるいは「在宅療養の往診を頼んだら断られた…」とか、「日頃から複数の医師にかかっているが、いったい誰がかかりつけ医なのかがわからない」とかの苦情や相談が相次ぎました。
繰り返しますが、かかりつけ医の定義の曖昧さ、そして法的にも制度化されていないことが大きな問題です。
因みにこのことは、厚労相の諮問機関である中央社会保険医療協議会(医療費改定を審議するところ)においても議論の対象にもなっています。
とはいえ、診療する側の医師の中には「かかりつけ医を制度で縛ることは医療には馴染まない」という意見もあるようで、定義や制度を明確化する議論は進んでいません。
この問題の根底には、我が国の医療制度の特殊性にあるように思います。
例えば英国では、患者がいきなり大病院にかかることは許されず、まずはその地域で指定された「かかりつけ医」に診てもらい、そこで必要と判断された場合に限って大病院や専門病院で診てもらうことになります。
医療を受けるにはまず何よりも「かかりつけ医」に診てもらわないとはじまらないわけです。
つまり医療の入り口としての役割を担っていることから、英国ではかかりつけ医を「ゲートキーパー」(門番)などと呼んでいます。
そして国民には、かかりつけ医に必ず登録する義務が負わされています。
ご承知のとおり日本の場合は、おカネ(追加料金)さえ払えば、いきなり大病院で診療を受けることが可能です。
即ち日本では、大病院であろうが、専門病院であろうが、診療所であろうが、患者側がフリーアクセスで選択することができるわけです。
フリーアクセスは患者側にとっては便利である一方、軽い症状であっても大病院に行くことが可能であり、そのことが大病院の負担を重くしたり、勤務医の労働環境をさらに悪化させる要因になったりもしています。
因みに、英国と日本の中間に位置するのがフランスです。
患者は英国のようにかかりつけ医に登録することが義務ですが、日本のように追加負担をすれば大病院にかかることもできます。
こうして比較をしてみますと、日本ではかかりつけ医の登録制度もなく、フリーアクセスが最も保証されていることが解かります。
しかしながら今回のコロナ禍で明らかになったのは、いったん医療が逼迫すればフリーアクセスはたちまち機能しなくなってしまう恐れがあることです。
実際、新型コロナウイルスに感染して重症化したにもかかわらず、どの病院にも受け入れてもらえない人たち、まったく治療を受けられず在宅療養を強いられた人たちが続出しました。
当該ブログでも繰り返し申し上げていることですが、日本の医療制度が危機を想定してない証左です。
危機を想定した医療制度にするためには、かかりつけ医の定義と制度を明確化し、医師と患者の関係をはっきりさせることが必要ではないでしょうか。
日本よりもはるかに感染者が多く発生した英国では、かかりつけ医が総力戦で軽症者の治療にあたり、病院での治療を重症者にしぼることに成功しました。
有事でも平時でも、必要な医療を受けられる日本にしなければならない。