きょう2月11日は『建国記念の日』です。
「建国記念日」ではなく「建国記念の日」と、なぜか「の」が入ります。
実に違和感を覚えます。
戦前(敗戦以前)は、ちゃんと「建国記念日」(紀元節)でした。
我が国の建国者であられる神武天皇が初代天皇に即位された日として、毎年2月11日を「建国記念日」としてお祝いし続けてきたのですが、占領期間中の1948年に「建国記念日」は廃止されてしまいました。
その後、「建国記念日」を復活させるための法案が9回も国会に提出されましたが、ことごとく廃案とされてきました。
やがて建国記念日が復活したものの、『建国記念の日』という名称に変えられてしまいました。
このことで、本来の「我が国の建国記念日を祝う」という解釈ではなく、「日本が建国したという事実を祝う日」という解釈に変更され、名ばかりのただの祝日になってしまったのでございます。
恐ろしいことに現在では「日本の建国者はマッカーサーだ…」と、本気で信じている日本国民がいる始末で、なかには8月15日こそが戦後日本の建国記念日だと思いこんでいる人たちすらいます。
おそらく大多数の日本国民は、もはやそんなことすらも考えていないのかもしれず、自分が生まれた国の建国史を知らないことを恥とも思わない人たちで溢れかえっているのが実状ではないでしょうか。
まさに占領政策と戦後教育が、私たち日本国民から建国の歴史を奪ったのです。
因みに私が中学生だったときの歴史教科書では、仁徳天皇以前の天皇はすべて排除。
その教科書で教えられた私は当時、仁徳天皇が日本の初代天皇なのだと本気で信じてしまったものです。
なにせ皇統を表す系図が仁徳天皇からはじまっていたのですから。
ですが大人になって歴史を学び、仁徳天皇以前の皇室の存在を消したい人たちの思惑が実によく解るようになりました。
例えば、仁徳天皇のご祖母は、神功皇后であられます。
神功皇后といえば三韓征伐です。
紀元400年前後に日本軍はほとんど朝鮮全土を征服して平壌まで占領していたということは、今も中国の吉林省に遺る「広開土王(好太王)碑」という石碑に刻まれています。
おそらくこの石碑が朝鮮半島に残っていたなら、とっくに破壊されていたことでしょう。
要するに、神功皇后が存在していては都合の悪い人たちが我が国の歴史教科書の策定に携わったことが解かります。
いまでは仁徳天皇すら存在しなかった説が唱えられているほどですが…
神功皇后を認めず、広開土王碑をどう説明するのか?
神功皇后の子であり、仁徳天皇の父であられる応神天皇を認めずして、八幡宮をどう説明するのか?
仁徳天皇が存在せずして、どうやって仁徳天皇陵ができるのか?
そして2月11日は建国記念日(紀元節)であると同時に、大日本帝国拳法が発布された日(明治22年)でもあります。
占領憲法(現行憲法)の記念日は5月3日ですが、我が日本国が主権の発動としての憲法をはじめて制定した日を祝うのであれば今日2月11日です。