誰かの赤字は、誰かの黒字。
誰かの負債は、誰かの資産。
この絶対的経済原則を裏付けているのが、『資金循環統計』にある各経済主体の「資金過不足」です。
各経済主体とは、政府、企業、NPO、家計、海外(経常収支)のことで、それぞれの経済主体が一定期間に収入以上に支出(もしくは借金)をしていれば資金不足、収入以下の支出(もしくは借金)しかしていなければ資金過剰となります。
各経済主体の資金過不足を足し合わせると必ずゼロになります。
なので、全ての経済主体が資金過剰になることは絶対にあり得ません。
資本主義経済において、常に資金不足にならなければならない経済主体は、むろん「企業」です。
政府については、インフレ期には資金過剰、デフレ期には資金不足となって需給バランスを調整する財政機能が求められます。(現在の日本政府はそれをやっていない)
一方、常に資金過剰によって資産蓄積するべき経済主体は「家計」です。
上のグラフをみると、20世紀の我が国は、家計がしっかり資金過剰となって資産を蓄積していたことがわかります。
しかしご覧のとおり、21世紀に入って明らかに過剰となる規模が縮小しています。
2020年に50兆円に達しているのは、もちろん「定額給付金」「協力金」「各種の経済対策」等々によって政府の支出(資金不足)が増えたからです。
くどいようですが、誰かの資金不足が必ず誰かの資金過剰をもたらします。
それにしても、2020年は別として20世紀の日本と21世紀の日本は全く別の国のようです。
21世紀の日本の家計は、預貯金を着実に積み上げる余裕を明らかに失っています。
昨今、「今どきの若者は活気がない…」「経済が成熟した結果、我々にはもう欲しい物がない…」的な発言をされるご高齢者の方々がおられますが、今どきの若者はデフレ経済しか知らないし、例え欲しい物があっても買うことができないのが実状です。
例えば、20世紀における非正規雇用の割合は就業者の約15%にすぎませんでしたが、21世紀に入っていわゆる「構造改革」が進んだことで、今や非正規雇用率は37%にまで増えています。
即ち、約4割は非正規雇用なのです。
加えて、25年間にもわたり経済が成長しないデフレが続いています。
とりわけ実質賃金は、だだ下がりです。
結果、30歳代の正規雇用者の婚姻率が約60%であるのに対し、同世代の非正規のそれは約20%、パートアルバイトに至っては10%にまで落ち込んでいます。
つまり、欲しい物が買えないどころか、結婚することさえ高いハードルになっているのが今の若者たちが置かれている実状なのです。
たしかに20世紀前半、戦後しばらくの日本は経済的には貧しかったかもしれません。
しかしながら、当時は家族や地域社会、あるいは終身雇用を約束してくれる企業など、様々なコミュニティが自分を支えてくれたはずです。
しかも現在とは異なり、明日は今日よりも豊かになる、来年は今年よりも給料が上がる、という希望がもてたはずです。
結果、高度経済成長の恩恵を受け、給料が上がっていく職場を持ち、家族を持ち、家を持ち、今はそこそこの年金をもらうことができているはずです。
安倍元総理は「実質賃金が下がっても問題はない」などと公言していますが、実質賃金が下がることの恐ろしさを知らないのでしょうか。
しかも、安倍元総理が進めたネオリベラリズム(新自由主義)に基づく構造改革とデフレ放置は、様々なコミュニティを破壊し、就業者の実質賃金を引き下げました。
それにより、何らかの共同体にも属すことのできない、年収300万以下の孤独な貧困者が増えています。
これを「デラシネ(根無し草)の貧困」と呼ぶ人もいます。
デラシネの貧困をもたらしたのは、まちがいなく我が国の愚劣なる政治です。
それは民主主義の機能不全と言ってもいい。