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議会報告 02 政治・経済

宿命の「治水」2019/11/09    

新潟県の新潟市に「亀田郷土地改良区」があります。

土地改良区とは、その地域の水田にまんべんなく水が供給されるなど、農作業を効率よくするために区画や農道を整備することを目的とし、土地改良法に基づいて設置されるものです。

亀田郷は水田率約80%の水稲単作地帯で、その面積の約3分の2がマイナス標高地帯であったことから、かつては「芦沼」と称されるほどの常習的湛水地帯だったようです。

このような悪条件の地を乾田化して、安定した農業生産基盤へと変えたのが土地改良事業でした。

「亀田郷土地改良区」が設立されたのは、昭和26年のことです。

因みに、「郷」というのは大化改新(たいかのかいしん)により設置された行政単位で、国の下には「郡」、郡の下には「郷」という具合に制定されました。

その後、平安末期に武士が台頭して以来、封建的な土地制度が徐々に整備されてゆき、秀吉の太閤検地のころには既に「郷」は行政単位としての実体を失いました。

いわば律令時代の遺物といってよく、この「郷」を土地改良区の名称に入れたあたり、設立に尽力された佐野藤三郎さんたちの歴史的意気込み、あるいは「自治」の精神で土地を改良するのだ、という“土地の者”としての強い決意を感じます。

江戸時代の初期頃から、昭和30年頃に改良事業が実るまでの長きわたって、亀田郷の農民たちは淡水の潟に土を入れ、そして苗を泥に浮かせるように植え、下の写真のように体いっぱい泥に浸かりながら農作業をされていました。

出典:亀田郷土地改良区

冷たい泥で体が冷えれば丘へ上がって桶の湯に手をつけ、手が温まればまた湖沼に入っていく、という具合だったそうです。

我が国の国土は、その67%が山地、20%が安全な台地で、残りの10%が洪水などで氾濫しやすい沖積平野などの低平地です。

そしてなんと、その10%の低平地に、我が国の人口の50%、資産の75%が集中しています。

例えば、後に東京となる江戸は、徳川家康が入府するまでは巨大な湿地帯でした。

家康は、この沖積平野の湿地帯の上に首都を構築したわけですが、低平地の沖積平野は海からの高潮と河川からの洪水に極めて脆弱であったことから、それはそれは凄まじい「土木事業」だったと思います。

湖沼のなかで過酷なまでの農作業を行うことが亀田郷の宿命であったように、我が国は湿地帯の上に都市を構築しなければならない宿命にありました。

とりわけ明治以降、近代国家に必要な工業と人口の集積を可能にする広い都市スペースは湿地帯の上にしかなかったのですから。

長い歴史を通じて、我が国の為政者たちにとっては「治水」こそがインフラ行政の根幹だったのです。

そのことは今もっても変わっていないはずです。