〒214-0012
川崎市多摩区中野島3-15-38-403
TEL:044-934-3302 / FAX:044-934-3725



議会報告 02 政治・経済

小栗に学べ、未来への投資!2019/10/23    

「国民を豊かにする」とは、即ち「国民の所得を増やすこと」にほかならない。

そして、国民一人あたりの所得が増えていくことを「経済成長」と言います。

では、経済成長の源泉となるものは、いったい何でしょうか?

国や地方を問わず、政治の現場に携わる者の多くがこの質問に答えることができません。

酷い者は「経済成長の源泉っておカネですか?」などと言い出す始末。

この種の議員が「誰もが生き生きと輝き、豊かさを実感できる国(街)をつくります」みたいな無責任で狡猾なフレーズで選挙に出て、それでいて当選してしまうから実に腹立たしい。

それはそれとして、経済成長の源泉は「生産性の向上」以外にありません!

では、どうしたら生産性は向上するのでしょうか?

幕末、一人の英雄が成し遂げた偉大なる業績を紹介することで、本日はその答えとさせて頂きます。

その英雄とは、幕臣・小栗忠順(通称「小栗上野介」)です。

小栗さんの成し遂げた数々の業績のなかで最も大きな功績は、なんといっても「横須賀製鉄所(造船所)」を建設したことです。

「日本は明治以降に近代化した」と多くの人が誤解されておりますが、実は横須賀製鉄所によって既に幕末(徳川時代)から我が国の近代化政策ははじまっていたのです。

のちに建設されることになる「富岡製糸場」も、この横須賀製鉄所でのノウハウが活かされ近代工場としての歩みをはじめたわけです。

さて、横須賀製鉄所は、ただ単に鉄や船を造っていたわけではありません。

例えば、蒸気機関、大砲、銃、砲弾、弾丸のほか、鍋、釜、スプーン、フォーク、それにドアノブやネジに至るまであらゆる工業製品を製造していました。

また、当時は蒸気船が主流になりつつありましたが、蒸気船でも普段は燃料である石炭を節約して風で航海する機帆船でした。

なので横須賀製鉄所の構内には製帆所が設けられ、帆布を織り切ったり縫ったりして帆を製造していました。

自然、帆を開き閉じるロープも必要になりますので、それも造っていました。

あるいは「黒船」と言っても、当時の船体は木造でしたので、製鉄所構内の木工所では材木をアク抜きし、乾かして加工し、船体、船室、床、天井、壁、階段のすべてを木でつくっていました。

また、大きな動力源を必要とする鉄工所が横須賀製鉄所構内の主流でしたので、蒸気機関を造るだけではなく、蒸気機関の構造、機能、効率性などが研究開発され、また船体工学と併せて船舶機関工学が当時最高の工学の位置を占めることになりました。

それまでの我が国の工業動力源は、人力あるいは牛馬、良くとも水力までです。

製鉄所がつくられた横須賀には大きな河川が在りませんでしたので、はじめから蒸気機関を動力減とした工場として建設されたのです。

つまり横須賀製鉄所は、蒸気機関を原動力とする日本最初の総合工場だったわけです。

いわば日本の近代工学の一切がこの横須賀製鉄所に集積していました。

ここから日本全国に近代工業の技術やノウハウが伝播し、我が国は近代化を成し遂げ、かつ経済を成長させ、日本国民一人あたりの所得を増やしていったのです。

なお、横須賀製鉄所が建設されてからちょうど50年後、我が国は日露戦争に勝利して、帝政ロシアによる侵略を阻みました。

日本海海戦でバルチック艦隊を海に沈めた東郷平八郎元帥は、「日本海海戦に勝利できたのは小栗さんが横須賀製鉄所を造ってくれたお陰です」と言って、小栗さんの子孫にお礼を述べています。

幕末、徳川幕府の御金蔵は底を着いていました。

むろん当時は、中央銀行制度もなく、管理通過制度もありません。

なにより金属主義による商品貨幣論であったあの時代、現在のように幕府債(国債)などを発行できなかったため、幕府財政のやりくりは実に大変だったと思います。

まさに勘定奉行(財務大臣)だった小栗さんのご苦労が忍ばれます。

それに、当時の幕閣(内閣)は「そんなものを造って徳川幕府に何のメリットがあるのか」と言って、小栗さんの製鉄所建設計画に反対をしていました。

それでも小栗さんは幕閣による強い反対を押し切り、財政をやりくりして製鉄所建設を成し遂げたのです。

そのときの小栗さんの言葉で、本日のブログを締めくくりたいと思います。

「徳川家の命運が尽きようとも、日本国の命運は尽きない。やがて政権を明け渡す(売り渡す)にしても、どうせなら土蔵(横須賀製鉄所)付きの売家にしようじゃないか」