〒214-0012
川崎市多摩区中野島3-15-38-403
TEL:044-934-3302 / FAX:044-934-3725



議会報告 02 政治・経済

正しい昭和史を知ろう #6
日米開戦はシナ事変から既にはじまっていた
2019/08/18    

通州事件から1ヶ月後、今度は上海にいた日本人居留民にも攻撃が仕掛けられました。

いわゆる「第二次上海事変」です。

この事変もまた、東京裁判史観では日本側が攻撃を仕掛けたことにされています。

当時、上海の日本人居留地には日本の海軍陸戦隊が駐留し、他国の租界同様に居留地を保護していました。

その陸戦隊に対し、なんと蒋介石は10個師団もの正規軍を配置して圧力をかけていたのですが、8月12日になると蒋介石軍は日本総領事館と商社の電話線を切断し、その翌日には租界から外に通じる道路をすべて遮断しました。

さらに8月14日、ついに蒋介石軍は米国から提供された戦闘機で上海を爆撃、日本の陸戦隊ばかりではなく、シナ人を含め民間人のいるホテルや避難所までもが意図的に攻撃されています。

結果、3,600人あまりが死傷しています。

陸戦隊とは、海兵隊とは異なって居留民保護を目的に駐屯しているだけの軽武装軍隊であり、蒋介石の正規軍(10個師団)の大軍に対抗できるだけの能力など持ち合わせていませんでした。

そこで、やむを得なくなった日本政府は陸軍の派兵を決定します。

むろん派兵の目的は、上海並びにその北方地区の要線を占領(軍事的に制圧)することで日本人居留民を保護せよ、というものでした。

このように我が国にとっての「シナ事変」とは、ただただ日本人居留民の保護が目的だったのであり、シナ大陸を侵略しようとしたのでは断じてありません。

この昭和12(1937)年という年は、盧溝橋事件、通州事件、上海事変を含め、大陸各地で日本人居留民や駐留日本軍に対する不可解な攻撃、許しがたい掠奪・虐殺事件が起きていました。

昭和12年7月7日、盧溝橋事件。

昭和12年7月25日、廊坊事件。

昭和12年7月26日、広安門事件。

昭和12年7月29日、通州事件。

昭和12年8月9日、大山事件。

昭和12年8月15日、第二次上海事変。

こうした事態を背景に日本政府は陸軍の派兵を決定したわけですが、平和を望まず攻撃を仕掛ける蒋介石軍は、日本軍に負けては逃げ、逃げても暫くするとと再び停戦の約束を違えて攻めかかってくる、の繰り返しでした。

そして徐々に日本軍を内陸部へと引きずり込んでいったのです。

その蒋介石を裏で支援(軍事物資の援助)し、シナ事変に油を注いでいたのは英米です。

英米による蒋介石軍に対する支援ルートのことを「援蒋ルート」と言いますが、それを断ち切るため、昭和15(1940)年9月、日本軍はフランス領インドシナ(現在のベトナム)に進駐したのは周知のとおりです。

英米による援蒋ルートを遮断しなければ、シナ事変を終わらせることができないからです。

当時、シナ事変を早期に終結させたかったのは、ほかでもない我が日本国だったのです。

残念ながら蒋介石も米国も英国も、そうはしてくれなかったのです。

いわば、日米開戦は真珠湾攻撃によってはじまったのではなく、既にシナ事変によってはじまっていたといっていい。

明日につづく…