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議会報告 02 政治・経済

正しい昭和史を知ろう #5
凄惨を極めた「通州事件」
2019/08/17    

現在でも、中国の北京市には通州区という地域があります。

その通州に、盧溝橋事件が発生した当時、約300人ほどの日本人居留民が暮らしていました。(コリア人も含む)

昨日のブログでも申し上げましたとおり、当時のシナ大陸では大陸全体を統治できる統一政権が存在せず、国民政府(蒋介石政府)のほか各地に軍閥自治政府が乱立していました。

通州を支配していたのは、親日的な冀東(きとう)自治政府でした。

そのため、通州には多くの日本人居留民が住んでいました。

さて、7月7日に発生した盧溝橋事件は、日本軍にむけて誰が不法な一発を発砲したのかなど、不明な点を残したものの、現地では停戦の合意ができて事態は既に収束していました。

ところが7月27日、デマを流すことで有名な南京放送(中国国民政府の御用放送)が「盧溝橋で日本軍が第29軍(国民政府軍)に大敗し、豊台と廊坊は完全に中国軍が奪還した。中央は陸続、華北の戦野に兵を進めつつあり、日本軍の壊滅も旬日のうちであろう」と事実と正反対の放送を流しました。

その放送については、当時の日本軍特務機関も聴取しています。

このデマ放送が北平方面の実状に疎い通州の中国兵に相当の心理的動揺を与えたらしく、日本側に付いているよりも第29軍側に寝返ったほうが有利であるとの誤った判断を抱かせたようです。

デマ放送の二日後の7月29日、親日的だったはずの冀東自治政府の保安隊が、100名程度の手薄な留守部隊しかいなかった日本守備隊に対して攻撃を開始してきました。

日本の残留兵力は極めて僅少でしたが、千数百を算する敵の攻撃に対して死力を尽くして戦いました。

冀東保安隊の装備のほうが遥かに優れていたのですが、日本の守備隊は集中砲火を浴び、死傷者の続出するなかで撃退に努めました。

しかしながら、居留民や特務機関まで守る余裕はありませんでした。

このとき既に、鬼畜と化した冀東保安隊による日本人居留民に対する虐殺がはじまっていたのです。

それはそれは、およそ人間とは思えない方法で、居留民の6割以上にあたる200人以上の日本人が冀東保安隊によって惨殺されたのです。

いわゆる「通州事件」です。

以下は、東京裁判で受理された「通州事件」の現場目撃証言の抜き書きです。

「(日本人の)陰部は刃物でえぐられたらしく血痕が散乱していた。男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。子供は手の指を揃えて切断されていた。主人らしき人の死体が放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」

シナには残虐な殺し方をする伝統があるのは有名です。

その伝統に習い、冀東保安隊は日本居留民の家を一軒残らず襲撃し、無辜の居留民(多数の老幼婦女を含む)に対して掠奪、暴行、陵辱、殺戮などおよそ残虐の限りを尽くしました。

因みに、この通州事件を「日本軍が起こした誤爆に対する冀東保安隊の報復措置だ」とする説があります。

通州事件の前々日、北平への撤兵通告を無視し続けていた蒋介石軍に対して日本軍が攻撃を開始した際、隣接する通州の保安部隊を誤爆したのは事実です。

しかしながら、誤爆後ただちに、日本の特務機関長が冀東政府の殷長官を訪問し、陳謝するとともに機関長自ら現場を視察し、遺族の弔慰に奔走しました。

なお翌日の7月28日にも、保安隊幹部一同に対して誤爆について釈明し、慰撫に努めました。

日本側が誠心誠意で臨んだ事後処理に落ち度はなかったはずです。(なにしろ当時の戦場では誤爆は双方にあったことです)

そもそも報復なら日本軍に対して行うべきで、200人以上の無辜の居留民を惨殺する理由にはならない。

通州で日本人虐殺が起きたという報は日本にも伝わっていたようですから、当時、日本のシナに対する怒りは頂点に達していたことと思われます。

その怒りは、この事件を抜きにして理解することはできないでしょう。

「通州事件」は、なぜか日本の歴史書や年表等には載っていません。

むろん、義務教育でも教えない。

日本人の知らない昭和史の一つです。

明日につづく…