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議会報告 02 政治・経済

正しい昭和史を知ろう #3
昭和26年、米国上院でのマッカーサー証言
2019/08/15    

東京裁判史観に基づく戦後教育を受けてきたこともあって、事あるごとにいわゆる「戦争の悲惨さ」というものについて教わって参りました。

あのようなことは「二度と繰り返してはいけない…」と。

もちろん繰り返してほしくない。

とはいえ、戦後の「平和教育」なるものは、ややもすれば「日本さえ反省すれば二度とあのような戦争は起こらない」と言いたげです。

果たして「あの大戦」は日本が主体的に起こした戦争だったのでしょうか?

そんなはずはない。

昭和26(1951)年5月3日、米国の上院で開かれた「軍事外交合同委員会」に招聘され、先の大戦で米国が日本と戦うことになった理由を問われたダグラス・マッカーサーは次にように述べています。

There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack a great many other things, all of which was in the Asiatic basin. They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war  largely dictated by security.

「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もない。彼らは綿も羊毛も石油も、錫もゴムも、そのほか、実に多くの原料が欠如している。そしてそれらすべて一切がアジアの海域には存在していた。もし、これらの原料の供給が断たれたら、日本国内で1,000万人から1,200万人の失業者が出ていたであろう。日本人は、これを恐れていた。従って、日本が戦争に突き進んだ動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだったのです」

これが、日本と戦い、日本を占領したときの最高司令官だった人が、米国上院という公の場で発言された言葉です。

最高司令官といえば、日本国民にとってはいわば敵の総大将です。

敵の総大将であるマッカーサーが「日本が戦争をはじめた目的は、主として安全保障上の必要性に迫られてのことだった」と言っています。

例えば池上彰氏はこのことを知っているのか知らないのかわかりませんが、彼らが絶対にテレビでは紹介しない“歴史の生き証人の言葉”なのです。

池上さんといえば、いつも「歴史に学ばねばならない」と偉そうに言っていますが、ならば…ぜひ池上氏にお尋ねしたい。

もしもあなたが昭和14年〜16年にかけて日本の総理大臣だったなら、ABCD包囲網やアウタルキー(資源国の囲い込み)問題、あるいは米英が支援する蒋介石との支那事変の泥沼化、そして国務と統帥の乖離問題等々、これら国内外の諸問題をいったいどのようにして戦争に至ることなく解決したのでしょうか。

ぜひともご教示頂き、歴史に学ばせて頂きたい。

例えば、戦前における我が国の軍事物資の輸入先は下の3つのグラフのとおりです。

こうした状況下で、まず昭和14(1939)年7月、日米通商航海条約の破棄を米国から一方的に通告されました。

次いで昭和15(1940)年7月、米国は対日石油・鉄屑輸出を許可制に移行することを通告してきました。

また同月、対日航空用ガソリンが禁輸されています。

なお9月には、対日屑鉄禁輸が許可制ではなく禁輸されることになりました。

そして昭和16(1941)年7月、米国は在米日本資産を凍結し、ついに8月には対日石油が全面禁輸されたのです。

これら米国の措置は「日本がシナ事変を終結させて大陸から撤兵しないから…」というのが概ねの理由でしたが、バカも休み休み言え!

シナ事変を続けることに日本には何のメリットもなかった。

ただただ日本はシナ事変の早期終結を求めていましたが、蒋介石を裏で支援し事変を長引かせていたのはテメエたち(英米)だろうに。

そもそも当時の米国には、日本との戦争を回避する気などさらさらなかったことは明らかです。

デフレ不況で苦しんでいた米国は、どうしても戦争需要が欲しかった。

だから、シナ事変の炎を煽って長引かせ、それを理由に日本を締め上げた。

経済的に締め上げ時間を稼ぎつつ、日本を包囲するようにフィリピンを含め太平洋の島々に基地を設け飛行場等を整備していきました。

それでも我が国は冷静さを保ち、どこかの国のようにホワイト国から除外されただけで発狂するようなことはしなかった。

粘り強い外交交渉にって戦争を回避し、あくまでも平和を維持しようと努めたのです。

ただし、その外交交渉力も、石油が尽きれば喪失します。

戦う力があるからこそ、戦わずして外交交渉によって国際問題解決の糸口を探ることができるわけです。(当時、戦闘機も戦艦も石油で動く)

そのことは今も昔も変わりません。

その石油が尽きようとしていたのです。

むろん、尽きようとしていたのは石油だけはありません。

だからこそ…

「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もない。彼らは綿も羊毛も石油も、錫もゴムも、そのほか、実に多くの原料が欠如している。そしてそれらすべて一切がアジアの海域には存在していた。もし、これらの原料の供給が断たれたら、日本国内で1,000万人から1,200万人の失業者が出ていたであろう。日本人は、これを恐れていた。従って、日本が戦争に突き進んだ動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだったのです」

明日につづく…