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議会報告 02 政治・経済

国民性のちがい2019/08/06    

日本の輸出管理体制の見直しに韓国政府が強く反発し、なんと一国の指導者が自国民の「反日感情」を焚きつけるなどの異常事態が続いています。

日本製品の不買運動をはじめ、例のによって、いわゆる「徴用工問題」や「慰安婦問題」について「日本は謝罪しろ…」というデモも発生しています。

彼ら彼女らにとって、“歴史問題”は日本に対する永遠の「政治カード」なのでしょう。

何度でも言います。

昭和40(1965)年に締結された『日韓基本条約』によって、日本と韓国との歴史問題は請求権を含めすべて解決し終了しています。

さて、歴史問題といえば、74年前の今日(8月6日)、広島にウラン型の原子爆弾(リトルボーイ)が投下されました。

その3日後、今度は長崎にプルトニウム型の原子爆弾(ファットマン)が投下されて、広島と同様に軍事施設とは無関係に市街地が破壊され、軍人ではない多数の民間人が殺戮されました。

遡る同年の6月22日、当時の日本政府(鈴木貫太郎内閣)はソ連を仲介国として英米との和平を模索することを決定しています。

それ以降、あくあまでも戦争継続(本土決戦)を主張する一部の陸軍主戦派らがかつての2・26事件のようなクーデターを起こさないように、鈴木内閣は細心の注意をはらってソ連からの返事を待っていたわけです。

やがてソ連は、日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、まるで火事場泥棒のごとく満洲、樺太、クリル諸島になだれこみ、我が国土と無辜なる日本国民を蹂躙し、何十万人もの日本国民をシベリアに送り込んで奴隷のごとく強制労働を課したのは周知の通りです。

そんなソ連に「和平の仲介」を依頼していた当時の日本政府の貧弱なインテリジェンスと外交力には、ただただ失望するほかありません。

インテリジェンスや外交力(その背景としての軍事力)というものが、国家にとっていかに重要であるかという「歴史的教訓」を現代に生きる私たちに示唆してくれたのかも知れませんが、「敗戦」という代償はあまりにも大きかった。

長崎に投下された原子爆弾(プルトニウム型)の核実験は、長崎投下の約一ヶ月前にニューメキシコ州のソコロで行わています。(トリニティ実験)

では、広島に投下された原子爆弾(ウラン型)の核実験は、いつどこで行われたのかご存知でしょうか。

実は、一度も行われておりません。

恐ろしいことに、彼らにとっては、広島(日本国土)そのものが実験場だったのです。

もしも米国の原爆開発が、ドイツ降伏前に成功していたとしても、白人国家を相手にしていたヨーロッパ戦線で原爆を投下することは絶対にあり得なかったと思います。

昭和20(1945)年8月14日、我が国はポツダム宣言を受託し、9月2日には降伏文書に調印しました。

その降伏文書の第2条にもあるとおり、日本政府は「日本国軍隊の無条件降伏」を約束したのであって、日本政府及び日本国民はあくまでもポツダム宣言で示された各種条件に基づいて降伏しました。(日本政府の無条件降伏ではない)

同じく降伏文書の第5条には「日本の役人や軍人は、連合国最高司令官の命令に服する」と書いてありますが、それは連合国最高司令官がポツダム宣言で授権された権限に基づく命令に服することを言っているのであって、マッカーサーがもっていない権限で発布されたものに日本政府や日本国民が服する義務などありません。

にもかかわらず、それらの国際条約はことごとく無視され、まるで日本政府が無条件降伏したかのような前提で、連合国(米国)は数々の国際法違反を犯して日本を占領統治したのです。

例えば、国際法(ハーグ陸戦条規)は、占領国は被占領国の現行法律を尊重しなければならないとしているにもかかわらず、占領国策定の法律を被占領国である日本に押し付けました。

我が国は、そうした数々の不法行為に蹂躙され不当な占領統治を受けつつも、昭和26(1951)年9月8日、やっとサンフランシスコ講和条約を締結するに至って、翌年4月28日に戦争状態を集結させました。

このように私たち日本国民は、広島や長崎への原爆投下はもちろん、東京大空襲をはじめ全国数十箇所の都市への爆撃(無差別殺戮)、あるいは条約違反の占領統治などなど、非人道的かつ屈辱的な仕打ちを受けてきました。

それでも戦後の日本国民は今に至ってもなお、米国政府及び連合国政府に対し「謝罪」を求めたり、「賠償金」を喬ったりしたことはありません。

あまつさえ、他国の国旗を燃やしたり、他国の企業が製造した商品を破壊したり、他国製品の不買活動をしたりすることはありません。

ロシア(当時はソ連)をはじめ、サンフランシスコ講話条約に調印していない国々に対してぐらいは、少しは文句を言ってもよさそうなものだと思うのですが、日本人はそうした国民性を持ち合わせていません。

国民性とは、かくも差の出るものなのでしょうか。