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議会報告 02 政治・経済

昔は蒸気機関車、今は新幹線!2019/06/13    

明治の近代化にあたり、日本の鉄道計画を推し進めた中心人物が二人います。

ひとりは伊藤博文、もうひとりは大隈重信です。

とりわけ大隈重信については、彼は佐賀藩士だったこともあり17歳のときに藩が制作した全長30メートルの模型蒸気機関車を見ています。

そんな経験から大隈は、日本の近代化にとって鉄道の必要性を維新の志士のなかでも人一倍に確信していたにちがいない。

明治のご一新によって、いよいよ蒸気機関車の計画が現実のものとなったわけですが、当初計画は東京から京阪神のルートだったものの、あまりにも費用がかかるため新政府内(とくに大久保利通や西郷隆盛ら)の了解が得られませんでした。

今と同じようにように二言目には「財政がぁ〜」だったわけです。

ただし、現代の日本とは異なり、当時の日本には自国通貨建て(円建て)で国債を発行できるほどの自前の供給能力がなかったわけで、それはそれで仕方のないことでもありました。

仕方なく、首都である東京と開港した横浜を結ぶ29キロメートル間を敷設することとし、大久保や西郷たちもしぶしぶ蒸気機関車の敷設計画を承認することになりました。

このときの財源は、外債の発行です。

大隈は日本で最初の債権を英国で売り出すことに成功し、どうにか建設費用を捻出することに成功したのです。

おそらく大久保あたりに「そんなにやりたいのなら自分で資金を調達してこい」とでも言われたのではないでしょうか。

そして英国のもつ鉄道技術をも導入することで、新橋と横浜間の鉄道開設が具現化したわけです。

現代の新橋駅の駅前広場に、SL機関車が記念碑として残っているのはご承知のとおりです。

蒸気機関車をみた当時の日本人は心から驚いたようです。

とくに大久保利通が凄いのは、この鉄道がもつ経済的かつ社会的な優位性を一瞬にして理解したことです。

鉄道に乗車した日の大久保の日記には「鉄道の発展なくして国家の発展はありえない」とあります。

こののち大久保は、一気に鉄道建設への投資に舵を切ることになります。

そこが今の政治家とは違るところか。

やがて明治22年には新橋から名古屋、京都、大阪、神戸までの全盛が開通し、なんと新橋〜横浜間の開業からわずか30年あまりで北は北海道、南は九州に至る全国7000キロメートルの鉄道網を我が国は整備したのです。

それまで藩ごとに分断された地域経済を、鉄道網の構築によって日本市場として統合することで近代国家の礎としていったのです。

現在、東京への過度な一極集中が大きな政治的経済的課題となっていますが、これを是正するためには、現代の蒸気機関車網ともいえる新幹線網の整備が急がれます。

なのに…

例えば、九州新幹線(長崎ルート)の整備が依然として頓挫しています。

一説には、フル規格での整備について佐賀県側が費用対効果の観点から難色を示しているとも言われていますが、そもそも整備新幹線の費用を地元自治体に求めること自体がナンセンスです。

新幹線網の整備は、国家プロジェクトとして全額国費でやってほしい。

明治の機関車網の整備だって、廃藩置県後の都道府県(地元自治体)には負担を求めず全て国費(しかも外債)で賄っています。

当時とは異なり、今の日本は自国建て(円建て)通貨で国債を発行できる経済力(国内供給能力)を有しています。

なのにやらない。

結局、今の為政者(政治家や官僚)たちに、おカネ(通貨)や国債についての正しい知識と理解が乏しいからでしょう。

それとも、大隈や大久保を超える人物がいないのか…