きのうは、現在開会中の川崎市議会第4回定例会において、私の一般質問の質問日でした。
質問項目は…
①災害時の廃棄物処理について
②人事委員会の情報公開のあり方について
③区役所フロントシステムについて
④介護付き有料老人ホームの選定基準について
⑤行政改革の歪みについて
…の5項目でした。
なにせ質問と答弁を合わせた「持ち時間」が30分かぎりですので、いつもは内容の厚みを重視して3項目にしぼって質問にあたるのですが、今回は強引に5項目に挑戦することになりました。
不確実性の時代の直中にある今、それだけ川崎市政には難題が山積しておりますので仕方ありません。
傍聴して下さった皆様、なおネット中継をご覧戴いた方々に心より感謝申し上げます。
さて、カナダのジャーナリストであるナオミ・クラインがその著書『ショック・ドクトリン』(2007年)で明らかにしたように、1980年代以降にはびこったいわゆるネオリベラリズム(新自由主義)に基づく「構造改革」は、戦争、紛争、テロ、災害、金融危機などの「ショック」を利用して断行されてきました。
例えば…
イギリスのサッチャー首相による改革は、フォークランド紛争というショック
アメリカのレーガン大統領のレーガノミクスは、ソ連との軍拡競争というショック
ロシアのエリツィン大統領の市場化政策は、議会の武力占拠というショック
中国の鄧小平による改革開放政策は、天安門事件というショック
…などなど
我が日本国における構造改革は、とりわけ「財政破綻論」というショックが利用されてきました。
ゆえに、小泉内閣に代表されるネオリベラリスト勢力たちは「このままではニホンはハタンするぅ~」だから「今こそ抜本的な構造改革を~」と言って、自由化、民営化、規制緩和、緊縮財政、自由貿易という新自由主義政策を行ってきたわけです。
しかしながら、彼ら彼女らの言う「抜本的な構造改革」は、ただデフレを長期化させ国民を貧困化し、統治機構を弱体化させたに過ぎませんでした。
実は、我が川崎市も例外ではありません。
川崎市では2002年に『財政危機宣言』が出され、やはりそれ以降、ネオリベリズムに基づく川崎版「構造改革」が進められ、職員と予算が削減されてきました。
いわゆる「選択と集中」というやつですが、今となっては本当に「財政危機」であったのかどうかさえ怪しい。
改革の結果、川崎市役所の組織体制はどうなったでしょうか。
ご承知のとおり世界は約10年くらい前から、不確実性の時代に突入しています。
むろん、日本国でも川崎市などの地方自治体でもしかりです。
よって皮肉にも、職員を削減した行政に対し、住民側の行政ニーズは様々な分野で高まり続ける一方だったのです。
昨今、川崎市政で問題となっている職員による事務ミス処理の多発には、こうしたことが背景にあるのだと推察します。
平時でさえマンパワーが足りていないのですから、台風や地震などの自然災害、あるいは今回のようなコロナ・パンデミックが発生した有事にはもっとマンパワーが足りなくなります。
なかなかメディアは報道しませんが、例えば政府が10万円の定額給付金を支給するために、どこの自治体でも担当職員が憂鬱になっているのが実状ではないでしょうか。
因みに、圧倒的な量の不足を質でカバーすることなど、ほぼ不可能です。
そんなことができるのであれば、そもそも我が日本国は大東亜戦争で負けていません。
きのうの総務企画局長がご答弁で明らかにしたように、川崎市が『財政危機宣言』を出した2002年と昨年度(令和2年度)の職員の長期療養者(精神及び行動の障害による休職者)の数は80人から217人に、そうした長期休職者を抱えている部署については68部署から137部署に増えています。
また係長昇任選考の第一次選考受験率については、かつては(2002年度には)70.7%もありましたが、いまや45.7%にまで落ち込んでいます。
受験対象となる若手職員の半分以上が、係長や課長や部長になることに魅力を感じていないことがわかります。
むろん時代的な特殊事情もあるかもしれませんが、少なくとも人員削減が組織のモチベーションを高めたとは言えないと思います。
このように数字が明らかにしているように、職員のマンパワーが不足し、なおかつ長期休職者を抱える部署が増えているなかでは、中間管理職たちのマネージメント能力に過度に依存するのも実にお気の毒です。
なお「服務規律がぁ」と言って構造改革の歪みを現場職員のやる気のみでカバーしようとするのにも甚だ無理があります。
こうした私の問題提起に対し、伊藤副市長は「不確実性の時代に対応できるように組織の整備や職員の配置に取り組むとともに、必要な職員数について検討していまいります」と、前向きなご答弁をされていました。
不確実性に対応できる川崎市役所をつくることは、むろん川崎市民にとって最大の利益です。