きのうは真珠湾攻撃から80年を経たということで、NHKほか民放各社が「あの戦争を振り返って…」みたいに報道していました。
どこの局も酷い報道ばかりですが、とくにNHKは未だに占領軍(GHQ)の犬放送局だと思いました。
例によって「太平洋戦争のきっかけとなった真珠湾攻撃から今日で80年です…」とやる。
日米戦争を太平洋戦争と呼んでいるのは相変わらずだとしても、昨日のブログでも申し上げたとおり開戦のきっかけをつくったのは日本ではなく米国です。
それにNHKは「真珠湾攻撃の犠牲者…」と言うけれど、日本軍(帝国海軍)は戦時国際法に則って真珠湾に停泊している軍艦及び軍事施設だけを対象に攻撃したのであって、米国が広島や長崎や東京でやったような民間人や民間施設を対象にした無差別殺戮など行っていません。
そもそも戦場において戦死した軍人を「犠牲者」扱いすること自体が失礼というものであろう。
東京大空襲や原爆投下といった無差別大量殺戮によって命を奪われてしまった無垢の民間人こそが「犠牲者」です。
さて、第二次世界大戦においては、日本は「大東亜戦争」を戦ったわけです。
すでに昭和12年からは蒋介石軍が仕掛けてはじまった支那事変を戦っていますし、当時、英米蘭の植民地と化していたアジア諸国を解放するためにインド洋方面においても英蘭軍とも戦っていました。
ゆえに、日米戦争を含めて大東亜戦争と呼んでいたわけです。
それがGHQの命令で「太平洋戦争」と呼び名を変えられてしまいました。
日本軍はシナやビルマ、それにインドネシア等の南方の島々でも戦ったわけで「太平洋戦争」と呼ぶのはずいぶん奇妙な話なのですが、戦後は米国がそのように呼ぶように強要したのでそうなってしまいました。
いわゆる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」という情報宣伝計画の一環です。
要するにGHQは、「大東亜戦争」と呼ぶことを禁止し「太平洋戦争」と呼ばせることから占領政策をはじめたのです。
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムとは、日本語に訳すと「日本人に罪意識をもたせるための情報戦略」となります。
米国の国務省は戦時中(昭和18年)の段階で既に『平和と戦争』というタイトルの米国側からみた「太平洋戦争史」を編纂しており、戦後の日本を占領するや否や、文部省にこの『平和と戦争』を教材として「利用せらるべき」というお達しを出しています。
むろん『平和と戦争』は、米国国務省が米国の戦争目的を正当化するための宣伝文書(戦時プロパガンダ)です。
こうして米国産の「太平洋戦争史」が日本の戦後教育のなかに持ち込まれたわけです。
さらにGHQは、NHKや民法各社にも「大東亜戦争という言葉を使ってはならない、太平洋戦争と呼べ!」などの厳しい放送コードを強制しました。
例えば島倉千代子さんの名曲である『東京だヨおっ母さん』には1番から3番までの歌詞があるのですが、絶対にNHKは島倉千代子さんに2番の歌詞を唄わせませんでした。
なぜかお解りでしょうか?
『東京だヨおっ母さん』の2番の歌詞をみると…
ねえ おっ母さん
戦争でなくなった兄さん
ここにねむってるのよ
やさしかった兄さんが
田舎の話を聞きたいと
桜の下でさぞかし待つだろ
おっ母さん
あれが あれが九段坂
遭ったらなくでしょ兄さんも
2番の歌詞では、娘が母を、兄のねむる靖國神社を案内しているわけです。
おそらくは、「靖國神社」がでてくる2番の歌詞を放送してはならない、という放送コードがあったのでしょう。
未だにNHKはGHQの放送コードを守っているようです。
NHKよ、昭和26年5月3日に開かれた米国上院の軍事外交合同委員会でのマッカーサーの証言を無視するな!
マッカーサーといえば、GHQの最高司令官です。
そのマッカーサーが、日本が真珠湾を攻撃した理由について次にように証言したのです。
「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もない。彼らは綿も羊毛も石油も、錫もゴムも、そのほか、実に多くの原料が欠如している。そして、それらすべて一切がアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給が断たれたら、日本国内で1000万人から1200万人の失業者が出ていたことでしょう。日本人は、これを恐れていた。したがって、日本が戦争に突き進んでいった動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだったのです」
このようにマッカーサー自身が「戦争のきっかけをつくったのは日本ではない」と言っています。
真珠湾攻撃から80年を経てもなおこうした事実を報じず、未だGHQの犬となって放送コードを守りつづけるNHKであるのなら、やっぱりぶっ壊されたほうがいい。