IMF(国際通貨基金)のゲオルギエバ専務理事は、今や「不確実性がニュー・ノーマルになりつつある」と述べておられます。
上のグラフのとおり、不確実性を指数化する試みまでなされている昨今ですが、なるほどこの10年間のトレンドを見ただけでも明らかに不確実性は高まっています。
コロナ禍がどのように終息し、ポスト・コロナ時代がどのようになるのかも極めて不透明です。
こうした不確実なショック(危機)に対する耐性のことをレジリエンス(強靭性)と言うのであれば、益々もって国家は国民と国益を守るためにレジリエンスを高めていく努力をしなければなりません。
川崎市のような地方自治体もしかりですし、企業や家庭もまたしかりです。
結論から言うと、レジリエンシーの高い社会というのは「余力のある社会」のことです。
則ち、レジリエンスを追求するために必要なのが「冗長性」ですが、残念ながらネオリベラリズムに洗脳されてきた人たちはこれらを悉く「無駄なもの」としてきました。
彼ら彼女らに言わせると、冗長性とは豊かさや経済成長を犠牲にするもので、ネオリベラリズムが言うところの市場の効率性に反するものらしい。
例えば、ある企業が石油や在庫を過剰に備蓄し、部品の供給先や販売網も多様化し、社員を増やして人材も多様化し、ついでに大地震に備えて社屋も頑丈にするなどして万全なレジリエンシーを構築したとします。
まさに凄まじいレジリエンスです。
とはいえ、こんなことは余程に体力のある企業でなければ具現化できないでしょう。
行政の場合、国家(中央政府)には通貨発行権があります。
ゆえに、インフレ率が許す限りにおいて政府支出の拡大に上限はなく、為政者たちさえその気になれば問題なくレジリエンスを強化することが可能です。
一方、企業や家計などの民間部門がレジリエンス、則ち「冗長性」や「余力」を蓄えるためには何が必要でしょうか?
むろん、経済成長です。
経済成長とは、一人あたりのGDP(所得)が上昇していくことです。
毎月、毎年のように可処分所得が着実に拡大していくならば、家計においても「余力」をつくることが可能になります。
現在のような需要が供給を下回るデフレ経済下では、企業や家計に余力は生まれません。
不確実性の時代にあって、我が国のレジリエンス強化の妨げになっているのは最大の障害はデフレであり、デフレを助長している緊縮財政(政府収支の縮小均衡)です。