きのう東京五輪の開会式が行われました。
陛下が開会宣言された際の、菅総理と小池都知事の不敬なる振る舞いが批判されています。
菅氏や小池氏が政治家としての資質に欠けていることは誰もが知るところであるが、この二人が陛下およびご皇室に対する国民としての畏敬の念すら持ち合わせていなかったことにただただ驚かされました。
敗戦国の成れの果てとはこうしたものか。
そもそも政府の不手際と愚策から、医療体制を含めたコロナ対策、あるいはワクチン接種業務、そして補償を含めた経済対策等々、これらの諸政策がことごとく後手に回って、未だ開催都市である首都東京は「緊急事態宣言」の中にあります。
前回の東京五輪において開会を宣言された昭和天皇は「お祝い」のお言葉を述べられましたが、今上陛下は「オリンピアードを祝う」を「オリンピアードを記念する」と述べるにとどめざるを得ませんでした。
本来であれば、「それもこれも私どもの内閣の力不足と不手際によるものです」と上奏し、そのご軫念にふかくお詫び申し上げるべきところだろうに。
そんな猛省を示すこともなく、不敬にも我が国の総理は座ったまま陛下のお言葉を拝聴したという。
オリンピックとパラリンピックが閉幕したら、そっこく退陣すべき内閣だ。
今はただただ、陛下によって開会宣言された五輪が、何よりも事なきを得つつ、すべての競技が世界に大きな感動と希望を与えるほどに盛会裡に終わられることを一国民として切に願います。
さて、話はがらりと変わって、米国の財政問題です。
きのうイエレン米財務長官が、議会上下院に対して「債務上限の引き上げ」や「適用停止の延長」などの対応を早急に講じるよう要請しました。
むろん、米国のように自国通貨建てで国債を発行し、変動為替相場制を採用する主権通貨国においては、政府のデフォルト(債務不履行)などあり得ません。
よく巷には「米国は基軸通貨国だから破綻しない…」みたいに言う人たちがおられますが、基軸通貨国であるかどうかは関係ありません。
問題は、主権通貨国かどうかです。
では、どうして米国では、毎年のようにこの時期になると債務上限問題(デフォルト問題)が騒ぎ立てられるのでしょうか?
なんと連邦議会は、米国が主権通貨国であることを無視し、愚かにも制度として人為的に債務上限を設定しています。
当然のことながらこれは「財政収支は常に均衡していなければならない」という誤った財政観を前提とした発想に基づくものです。
要するに連邦議会による債務上限の設定とは、「これ以上、政府に無駄遣いをさせないぞぅ〜」という議会のよる国民への大衆迎合デモストレーションにすぎません。
実は連邦議会は2019年に「債務上限の一時適用停止」を決定していたのですが、それが今月末(7月末)に期限を迎えています。
債務上限復活が控えるなか、もしも連邦議会が何ら対策を講じなければ米国政府は8月から借金を増やせなくなります。
であるからこそ、イエレン米財務長官は「万一、米国が債務不履行に陥れば米国経済と米国人の生活に取り返しのつかない損害を与える」と警鐘を鳴らしているわけです。
なお長官は「新型コロナウイルス禍で不確実性が増しており、財務省が手元資金をやりくりする臨時措置はいつまで続けられるかわからない」と訴えています。
結局、最終的には連邦議会側が折れるのが常です。
なにせ大衆に迎合したデモストレーションですから…
米国における債務上限問題が、財政問題ではなく単なる政治問題であることの証左です。