財務省解体デモを「陰謀論」として批判する人たちがいるようですが、行政府のなかでも特に財務省が大きな政治的パワーを有し、そのことが国民経済の弊害になっているのは陰謀などではなく事実です。
ここで言うところの政治的パワーとは、①税を徴収する力(国税庁)、②予算を配分する力(主計局)、③メディアを通じて世論誘導する力(財政研究会)です。
少なくとも、①と②を分離して財務省をただの会計省(会計庁でもよい)にすることができれば、霞が関の景色はがらりと変わり、国民経済のための国策が遂行される可能性は高い。
そのためにも、財務省解体デモには大いなる価値があると思います。
ところがネットの世界では、不思議なことにわけのわからぬ財務省擁護論が散見されます。
「財務官僚は東大出身なのだから、彼らが間違ったことをするわけがない…」とか、「財務省を解体しても意味がない。その前に自己責任だ…」とか。
繰り返しますが、解体というより、財務省の持つ権力を分散させることには大いなる意味があります。
税の「入」と「出」の両方を所管するがゆえに財務官僚たちは、「入(収入)と出(支出)をバランスさせなければならない」と誤解しているフシがあります。
プライマリー・バランスという考え方は、まさにそれそのものです。
おそらくは、財務省を養護している人たちもまた、そのような根本的な誤解をお持ちなのだと思われます。
彼ら彼女らの共通点は、誰かが赤字にならなければ、誰かが黒字になることができない、という経済の基本原則を理解していないことです。
だから「政府財政は黒字化しなければならない」という完全に間違えた発想になってしまうわけです。
何度でも言いますが、政府が黒字になると、その反対側で必ず誰かが赤字になっています。
その「誰か」が日本国民です。
即ち、「政府を黒字化しまーす」という宣言は、「国民を赤字にしまーす」という宣言なのです。
これを理解するためには、正しい貨幣観を持たねばならない。
むろん、それを理解している財務官僚も中にはいるのかもしれません。
いたとしても財務省という組織の中でそれを言ってしまえば出世ができない。
出世できないどころか、おそらくは左遷させられることでしょう。
なので、財務省という現在の省庁が存在するかぎり、日本政府の財政政策が積極財政に転じることはほぼ不可能なのです。
本来、財務官僚を指導するべき政治家(閣僚や与党議員)たちは、主計局に睨まれると自分の選挙区に予算が下りてこなくなったり、国税庁に睨まれたり、スキャンダルを掴まれたりして平気で財務省に屈します。
国民の怒りが財務省解体デモに向かうのも宜なるかなです。