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議会報告 02 政治・経済

歴史という情報戦を戦う(その8)2019/03/04    

「甲申の変」によって、朝鮮独立党による近代化路線は失敗に終わりました。

さて、遡ること「壬午の乱」の際、清国は朝鮮に対して西洋列強との修好条約を結ばせています。

おそらくは、朝鮮の独立と近代化に力を貸している日本の影響力を削ぐための外交的措置だったと思われます。

しかしその結果、それを足がかりにして、ついにロシアが朝鮮半島に触手を伸ばしてくることになりました。

当時、日本にとって最大の地政学的脅威は何よりもロシアです。

よって「甲申の変」ののち、伊藤博文は「日本と清国(朝鮮の宗主国)とが朝鮮の独立をめぐって争っていると、ロシアに得をさせるだけだ」と考えていました。

それで清国(首相・袁世凱)と結んだ条約が天津条約です。

天津条約では…
1.  四ヶ月以内に日本も清国も軍隊を退く
2.  朝鮮は自分で治安を維持し、朝鮮の軍隊の訓練には日本も清国も関わらず、第三国に任せる
3.  もしも朝鮮に軍隊を出す事態が勃発したら、日本と清国はお互いに文書で知らせ合ってから出す
…ということが決められました。

ここにおいて、あくまでも朝鮮の独立近代化を求める日本、あくまでも朝鮮を属国のままにしておきたい清国、という構図が歴然としていました。

その延長で、いよいよ日清戦争が勃発することになります。

日清戦争の発端となった「東学党の乱」は、もともと農民一揆が政治暴動化したものです。

この暴動が深刻な事態へと拡大した背景には、この東学党が閔妃一派打倒の機会を窺っていた大院君や清国の首相・袁世凱と通じていたことが関係しています。

この乱はあくまでも朝鮮の国内問題でしたが、既にロシアが朝鮮宮廷に触手を伸ばし始めていたこともあって、清国(袁世凱)には焦りがありました。

というか、前述のとおり、西洋列強との修好条約を朝鮮に結ばせ、ロシアによる朝鮮半島への介入を許したのは清国です。

ロシアによる朝鮮介入に焦りがあった清国は、「東学党の乱」を機にすかさず朝鮮半島に出兵します。

清国は出兵と同時に、天津条約での約束どおり日本に出兵通告をしてきたのですが、その通告文の中に「属邦保護」の文字がありました。

当時の外務大臣・陸奥宗光は「朝鮮が清国の属邦たることを承認せず」と反論し、清国の軍事力との均衡を保つために我が国も出兵します。

出兵しないと、朝鮮が清国の属邦たるを承認したことになってしまうからです。

戦後、米国様の属国と化した日本では理解されないことかもしれませんが、外交軍事の世界では今も昔も何らの行動を起こさなければ「(そのことを)承認した」ことにされてしまうのです。

清国が3千の兵を出したのに対し、日本は6千の兵を出しました。

こうして日清戦争へと突入していくことになります。

因みに、我が国は出兵と同時に、朝鮮内部の共同改革を清国に提議したことを付しておきます。

そして日清戦争が朝鮮の独立をめぐる戦争であったことは、両国の宣戦布告書をみればよく解ります。

明日につづく…