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議会報告 02 政治・経済

歴史という情報戦を戦う(その7)2019/03/03    

壬午の乱に乗じ3千の兵を朝鮮に留め置いた清国は、閔妃(国王の后)一派を傀儡化し、日本式改革をすべて取り止めさせました。

せっかく進み始めた朝鮮の近代化路線は、はやくも暗礁に乗り上げます。

しかし、そんな朝鮮にも、金玉均(キンギョッキン)や朴泳孝(ボクエイコウ)など「日本式に近代化をしなければならない」と考える改革独立派がわずかながらにも存在しました。

清国の傀儡であった閔妃一派が「事大党」と称されたのに対し、改革独立を目指す金玉均や朴泳孝らは「独立党」と称されました。

要するに、独立党は朝鮮における「明治維新」派だったわけです。

因みに、この独立党の人たちを福沢諭吉が支援したのは有名な話です。

例えば、弟子の井上角五郎をソウルに送って「漢城旬報」という朝鮮初の近代的な新聞を発行させています。

その後の1884(明治17)年、閔妃派を後押していた清国がフランスとの戦争に敗れると、それを好機ととらえた独立党がクーデターを起こします。

クーデターは首尾よく運び、閔妃一派は一掃され、金玉均や朴泳孝らは新政権を樹立することに成功しました。

独立党による新政権は、清国からの独立、門閥や宦官の廃止などを掲げ、再び日本式の近代化路線を試みました。

ところが、野に下った閔妃一派ら事大党が、なんと清国に兵隊を出してもらうように要請してしまいます。

国内問題(内戦)に外国の軍隊を引き込むことだけは絶対にやってはならないことです。

介入した外国に対し、内政につけ入る政治的根拠を与えてしまうことになるからです。

要請を受けた清国が朝鮮に大軍を送りこんできたために、独立党政権はあっけなく潰され、金玉均や朴泳孝らは日本に亡命することになりました。

このとき、朝鮮にあった日本公使館も襲われ焼き払われ、婦人を含む多くの日本人が惨殺されてしまいます。

これが、いわゆる「甲申の変」です。

福沢諭吉が「脱亜論」を唱えたのは、このときです。

それは、依然として近代国家へと脱皮しようとしてくれない清国と朝鮮に対する痛烈な批判からでした。

明日につづく…