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議会報告 政治・経済

歴史という情報戦を戦う(その4)2019/02/28    

当時の朝鮮が頑なに日本との修交を拒んだ理由の一つに「シャーマン号事件」があったと思われます。

現在でも平壌ちかくに大同江という大河が流れています。

その大同江で米艦「シャーマン号」が通商開始と食料供給を求めたところ、なんとシャーマン号は焼き討ちされ、乗組員全員が殺害されてしまいました。

むろん、朝鮮の攘夷感情の高まりによって生じた事件だったと思われます。

また、ソウル市北西の京畿湾に江華島という島があります。

この江華島に、シャーマン号事件が起きた年と同じ年にフランス艦隊が来航しています。

来航の目的は、フランス人宣教師9名らが殺害されたことに対する朝鮮への抗議でした。

ところが運悪く浅瀬に乗り上げしまい、往生しているところを朝鮮側に攻撃され、やむなくフランス艦隊が退去したという事件もありました。

これら一連の事件が、朝鮮に鎖国排外主義の自信を高めさせたのだと思います。

要するに「黒船ごときで開国した日本なんかとは違って、俺たちは強いんだぞ」とでも言いたかったのでしょうか!?

さて、修交協議に応じてもらえないまま時は過ぎ、1869(明治2)年、我が国はそれまで対馬の宗氏が所管していた朝鮮外交を外務省の所管に移しました。

つまり、条約に拠らない「私交」を廃止したわけですが、我が国は近代国家として歩みだしたのですから当然の措置だったと思います。

なぜ、そのことが気に食わなかったのか解りませんが、朝鮮側は私交廃止に反発し、日本の朝鮮における外交事務所でもあった「草梁和館」(釜山にあった)への薪炭食料の供給を断つという挙に出ました。

我が国としては、我慢、我慢、我慢が続きます。

その年の12月、気を取り直した日本政府は、外務省員を釜山に派遣し、前の「維新通知」への回答を督促したのですが、やはり相変わらず朝鮮側が応じることはありませんでした。

それでも諦めず、翌1870(明治3)年10月、こんどは使節一行を渡韓させ、外務卿(外務大臣)の書簡を示して、改めて国交を求めました。

因みに、この書簡が対馬の宗氏を介せず直接に提出した最初の国書となります。

しかも、この国書には「皇」「勅」「朝廷」などの文字は一切使われていません。

むろん朝鮮側への外交的配慮でしたが、なんとこれをも朝鮮側は拒絶し、挙句の果てに「交渉はすべて旧来どおり対馬の宗氏を介せ」と言う始末。

「・・・」

このとき、朝鮮各地には「斥洋碑」が建てられ、ますます攘夷と侮日の機運が高まっていきました。

明日につづく…