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議会報告 政治・経済

歴史という情報戦を戦う(その3)2019/02/27    

1868(明治元)年、明治政府は朝鮮に対して修交回復を希望する旨の国書を提出しました。

しかし、その国書の中に「皇」「勅」「朝廷」などの文字があり、なお書簡の形式も前例と違うこと理由に朝鮮は国書の受理を拒否しました。

よって日本政府は丁寧に説明を試みます。

日本では二千有余年にわたり、天皇が大政を総攬してきたことは朝鮮も承知しているところであり、「皇」の文字を使うのは明治のご一新により政体が天皇新政に改められたからである…

その旨を、従来の慣例に則って対馬藩を通じて丁寧に説明したのですが、それでも聞き入れてもらえませんでした。

今日なお一部の歴史研究者は、日本側が国書の中で「皇」の文字を使用したのは朝鮮を臣隷化しようとする策謀からだった、という説を唱えているようですが、もしそうであれば、やがて勃発することになる「日清戦争」など日本は戦う必要がありませんでした。

そもそも日清戦争は、日本が朝鮮の独立を主張し、清国が朝鮮を属国であると主張していたことによりはじまった戦争です。

日清戦争の講和条約(下関条約)の第一条を見よ。

「清国は朝鮮国が完全無欠の独立自主の国であることを承認する」

学校では教えてくれませんが、日本国民は知るべきです。

清国に対し「朝鮮を独立国として認めさせる」ために、我が国は大きな犠牲を払ってまで日清戦争を戦ったという事実を。

さて、当時の朝鮮がかくも頑なに修交を拒否した理由はいくつか考えられます。

まず、朝鮮は14世紀以来、太祖李成桂が尊明(尊中国)主義を標榜して以来、500年ちかくにわたり中国(明・清)に服属してきた歴史がありました。

因みに「朝鮮」という国名も、明の初代皇帝(朱元璋)から授かったものであり、朝鮮の年号も民国の年号を使用するという徹底ぶりでした。

いわゆる「華夷秩序」、または「小中華思想」です。

つまり、世界の中心に天子のいる中華があり、その周辺の蛮族がみなその属国となって朝貢する関係のことです。

おそらく朝鮮史観からすると、あくまでも中華(シナ)が親分で、日本は朝鮮よりも下位の属国という認識なのでしょう。

日本の場合、聖徳太子が髄の煬帝に「日いづるところの天子、書を日没するところの天子に致す。恙無きや…」という書簡を送ったときに既に「華夷秩序」を拒絶しています。

残念ながら、朝鮮には聖徳太子がいなかった。

朝鮮が頑なに修交を拒んだ理由のもう一つは、その二年前位に発生した「シャーマン号事件」があったと思われます。

現在でも平壌ちかくに大同江という大河が流れています。

その大同江で米艦「シャーマン号」が通商開始と食料供給を求めたところ、なんと朝鮮側は…

明日につづく…