英語圏では都市や国土をつくる営為を「civil engineering」と呼び、日本では「土木工学」と訳されます。
古来より我が国においては「困った人を救う行為としてのインフラ整備」という意味で「築土構木」の思想が根付いてます。
土を盛り、木を組む、築土構木…
「土木」という言葉の語源です。
むかし「讃岐の国」と呼ばれていた頃の香川県の讃岐地方は、瀬戸内の気候ゆえに降雨量が少なく、溜池をつくらなければ安定的に農業を営むことができませんでした。
今でも彼の地には、無数の溜池が散在している所以です。
その溜池のうち、日本最大の灌漑用溜池が、あの「満濃池」です。
ところが、この満濃池も、ひとたび大雨などの自然災害が発生するとたちまちにして決壊し、地域一帯に大被害をもたらしていました。
私たち日本国民のご先祖様たちは、常に自然災害とともにあったのです。
当時、技術的困難や人手不足で満濃池の復旧に手こずっていた朝廷が、弘法大師・空海に白羽の矢を立て、空海の唐で学んだ土木工学が活かされ、わずか3ヶ月足らずで修復を終え大池を完成させたのは有名な話です。
歴史を遡れば空海のみならず、聖武天皇による大仏建立に尽力した行基は「布施屋」という福祉施設を建てたほか、農業用の池や道路をつくり橋を架けて民衆の暮らしのインフラを整備しました。
宇治橋や山崎橋を架けた道昭もまた然りで、彼らはまさに築土構木の実践者でした。
我が国は超自然災害大国であったがゆえに、築土構木の思想が他国以上に根付いてきたのだと思います。
また、わが国の興隆と発展は、土木(インフラ整備)の「力」によって支えられてきたといっていい。
自然災害の驚異は昔も今も変っていないのに、こんにちの日本国では、あり得ない財政破綻論や、ネオリベラリズムに基づく「カネ・カネ・カネ」の緊縮財政思想が蔓延し、「築土構木」の実践が軽視されています。
昨年12月21日付けの日本経済新聞(電子版)にも次のような記事がありました。
『公共事業関係費は総額で6兆9099億円と、2018年度当初予算に比べ16%増えた。自然災害が相次いだのを踏まえ、災害対応の強化や老朽化に備えるインフラ整備を手厚くしたが、消費増税に備えた景気対策として大盤振る舞いした側面も否めない。(後略)』
日本経済新聞のみならず、我が国の多くのマスメディアは、どうしても「インフラ投資」がお嫌いらしい。