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議会報告 政治・経済

貨幣観を間違うと国は衰退する2018/09/23    

もしも我が国の通貨が、未だ江戸時代のように「金」の小判や「銀」の貨幣(銀貨)であったなら、戦後の高度経済成長など成し得なかったであろうし、そもそも近代国家をつくることもできなかったでしょう。

なにせ保有する金や銀の量には限界があります。

有限性のある貴金属を通貨にしてしまうと、通貨発行量がモノやサービスの生産量の拡大に追いつかず、必ず経済はデフレに陥ることから経済の成長は止まり、実質賃金が下がり需要が停滞、需要不足から供給能力が毀損され、やがて国家は衰退に向かっていきます。

例えば徳川幕府が行き詰まったのは、なにも「黒船」や「尊王思想」のせいだけではなく、元禄バブル崩壊以降の慢性的デフレ不況に対し、幕府が何ら有効的な経済政策(財政政策)をとることができなかったからだと私は推察しています。

貨幣の本質を考えたとき、金属主義表券主義、という二つの貨幣観があります。

金属主義は、通貨は金や銀などの貴金属の裏付けが必要だ、という貨幣観。

表券主義は、金や銀などの貴金属の裏付けなど必要なく、国家が認定すれば立派な貨幣だ、という貨幣観です。

その点、徳川幕府の貨幣観は筋金入りの金属主義でした。(一部、藩札の発行をみとめていましたが…)

ところが徳川幕府にも正しい貨幣観をもった優秀な旗本がいたことをご存じでしょうか。

元禄バブルが崩壊し江戸経済がデフレに突入したとき、荻原重秀という勘定奉行(財務大臣)が現れたのです。

荻原重秀は「瓦礫だって、幕府の判子を押せば立派な通貨だ」という表券主義を提唱した稀有な逸材で、金属主義者だった新井白石らの反対を押し切って小判の金の含有量を減らし小判の発行量を増やした人です。

これによって一時的に江戸経済が回復し幕府収入は増えたものの、その後インフレになってしまったことから荻原重秀を評価しない人が多いのですが、彼には弁護されるべき理由があります。

本来、江戸の物価が上昇しはじめた段階で出口戦略をとればよかったのですが、なにせ現在のように政府統計の調査が十分でない時代です。

貨幣量とインフレ率の兼ね合いを見極めるなど実に困難なことで、荻原重秀を責めるのも可哀想な話です。

ただただ、あの時代に既に「表券主義」を唱えていたこと自体が凄いです。

荻原重秀が失脚したのち、再び幕府は金属主義に戻って享保不況へと突入し、そのまま幕末までデフレ経済が続きました。

デフレとは、国民の貧困化です。

それが享保以降、鬱屈とした閉塞感となってずっと続いたのです。

幕末、維新を成し遂げるに必要な「反幕エネルギー」がマグマのごとく噴出したのは、幕府に対する「鬱屈とした嫉妬や不満」が庶民感情の根底にあったからだと思います。

また開国以降、莫大な「金」が海外に流出してしまったことによって「銀」などの価値が暴落しました。

それによって大損した関西商人(関西では銀本位制)たちが、幕末の志士たちの最大のスポンサーになっていった理由がよく解ります。

現在の我が国においても、緊縮財政を主張し、正しい財政政策(デフレ対策)を妨げている人たちは、まちがいなく「金属主義の貨幣観」をもった人たちです。