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議会報告 政治・経済

73回目の8月15日2018/08/15    

政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」としています。

また一般的には「終戦記念日」「終戦の日」とも称され、日本各地で政治団体やNPOなどによる集会が開かれています。

米国、英国、フランス、カナダ、ロシアでは、大東亜戦争の終結日を8月15日とはせず、9月2日を対日勝戦記念日(Victory over Japan Day)としています。

日本が降伏文書に調印した日が、9月2日だったからです。

我が国が8月15日を終戦日としているのは、むろん陛下が「終戦の詔書」を玉音放送した日だからです。

因みに、日本がポツダム宣言受諾を通告したのは8月14日、日本の軍隊が武装解除したのは8月16日です。

さて、終戦間際、戦況が一向に好転せず、敗色濃厚だったとはいえ、各戦線に配された日本将兵の戦意はまだまだ横溢していたに違いありません。

にもかかわらず、陛下の玉音放送一つで600万人におよぶ将兵が一斉に武器を置き整然と戦闘を止めたのですから凄い。(日ソ不可侵条約を一方的に破棄したソ連が侵攻してきたため、満洲や占守島ではやむを得ず戦闘継続)

このようなことは、世界戦史には類例がないと思います。

我が国における皇室の権威、あるいは天皇陛下の力というものを痛感します。

このように言うと、「そんなに力があるのなら、どうして開戦を止めることができなかったのか」と思われる方もおられましょう。

いわゆる「東京裁判」の際にも、陛下を訴追したい戦勝国がそのことを主張していました。

ご承知のとおり、明治以降、我が国は立憲君主制を採用しました。

我が国の立憲君主制においては、天皇陛下には、内閣が決めたことについて反対する権限は与えられていません。

即ち、いかに天皇陛下といえども、内閣の決定事項を覆すことはできないのです。

それは現行憲法(占領憲法)下の日本と同じです。

政治責任は、あくまでも内閣において最終なのです。

きちんと機能している内閣が「開戦」を決定した以上、天皇陛下としては立憲君主としてこれを承認せざるを得ないわけです。(大日本帝国憲法における天皇陛下は絶対君主ではありません)

一方、終戦のときは、「降伏」か「本土決戦」かをめぐって内閣の中で意見が割れ、統帥部の間でも意見が割れてしまいました。

即ち、当時の鈴木貫太郎内閣が責任内閣として機能しなくなってしまったがために、陛下のご聖断を仰ぐことになりました。

事実上、憲政史上はじめて立憲君主制が停止状態となってしまったわけです。

それでも、ひとたびご聖断が下るや、内閣も統帥部もそれに従うことで一致し、終戦となりました。

73回目の8月15日を迎えた今日、日本全国至るところで集会が開かれることでしょうが、「なぜ日本は戦わざるを得なかったのか?」という本質的な検証を行う集会は多くはないでしょう。

なぜ日本は戦わざるを得なかったのか…

その答えを、奇しくも連合国軍最高司令官であったマッカーサーが、昭和26(1951)5月に米国上院で次のように証言しています。

「There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.

(日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もない。)

They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack a great many other things, all of which was in the Asiatic basin.

(彼らは綿も羊毛も石油も、錫もゴムも、そのほか、実に多くの原料が欠如している。そして、それらすべて一切がアジアの海域には存在していたのです。)

They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.

(もし、これらの原料の供給が絶たれたら、日本国内で1000万人から1200万人の失業者が出ていたでしょう。日本人は、これを恐れていました。)

Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.

(したがって、日本が戦争に突き進んでいった動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだったのです。)