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議会報告 政治・経済

ポツダム宣言受託を通告した日2018/08/14    

73年前の今日、我が国は連合国にポツダム宣言の受託を通告しました。

連合国が日本にポツダム宣言を発したのは、昭和20(1945)年7月26日のことです。

これを日本政府が黙殺してしまったがために「原爆を投下されても仕方がなかった」みたいなことがまことしやかに言われていますが全くのウソです。

連合国によってポツダム宣言が発せられたとき、日本政府はソ連に依頼した「降伏仲介」の返事待ちをしていたために、連合国に返答できなかっただけです。

けっして黙殺などしていません。

むしろ日本が降伏しそうだったから、米国は慌てて広島と長崎にそれぞれ別の種類の原爆を投下したのでしょう。(米国は日本国民を原爆の実験台にした)

とはいえ、ソ連などに依頼したところで返事などくるはずもありませんでした。

なぜなら、長崎に原爆が投下された8月9日、日ソ不可侵条約を一方的に破棄したソ連は満洲に侵攻しており、ソ連に仲介する気など更々なかったわけです。

よって、ソ連を仲介国にしようと目論んだところが大間違いでした。

因みに、一説によると昭和天皇は「バチカンに仲介してもらってはどうか」とお考えになっておられたようです。

ともかく仲介国を失った日本政府は慌てて、8月10日に「天皇の国法上の地位を変更しない」ことを条件に受託する旨を連合国に返答しています。

それを受け、8月12日、米国国務長官から「国家統治の権限は、連合国軍最高司令官に“subject to”する」という回答がありました。

この“subject to”の解釈をめぐって紛糾しましたが、73年前の今日(8月14)午後11時、日本政府は「ポツダム宣言」受諾を連合国に通告し、翌日の8月15日に昭和天皇が終戦の詔書を玉音放送されるに至りました。

我が国がポツダム宣言に基づいて「降伏文書」に調印したのは9月2日のことです。

これを無条件降伏と誤解している人が大勢おられますが、さにあらず。

降伏文書の第二項に謳われている「無条件降伏」は、未だ戦地で武装していた日本国軍隊の無条件降伏であって、日本政府及び日本国の無条件降伏ではありません。

これは屁理屈でもなんでもなく、現にそのように書かれています。

「日本国軍隊及日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ聯合国ニ対スル無条件降伏ヲ布告ス」(降伏文書抜粋)

また、東京裁判(極東国際軍事裁判)がどんなに不当なものであったとしても、「日本は降伏文書に調印したのだから仕方がない」みたいな愚論を真顔で言う人たちもおられます。

降伏文書第五項に「連合国軍最高司令官の一切の命令に従う」とありますが、これは連合国軍最高司令官たるマッカーサーがポツダム宣言により授権(オーソライズ)された権限の範囲で発せられた合法の命令に日本政府が服する義務を規定しているのであって、マッカーサーが持っていない権限によって発せられたものに、日本政府及び日本国民に従う義務などありません。

いわゆる東京裁判は、ポツダム宣言により授権された権限ではない「マッカーサー条例」(マッカーサーの私法)によって施行され裁かれたのです。

結果、東京裁判は「罪なくして罰なし」という罪刑法定主義を無視し、「事後に定めた法律は遡らない」という遡及処罰禁止の原則を蔑ろにし、検察側及び判事たちがことごとく戦勝国で占められているなど法定憲章に反する実に不当な裁判となりました。

昭和27(1952)年4月28日に独立を回復した我が国としては、大東亜戦争での「敗戦」は認めつつも、けっして「東京裁判」だけは認めてはならないと思います。

この「東京裁判史観」こそが、戦後の国民精神を自虐史観によって蝕ませ、日本国を衰退に至らしめている元凶です。