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議会報告 政治・経済

「入社後すぐ再就活」急増の背景にあるもの2018/08/08    

昨日(8月8日)の日本経済新聞に、次にような記事が掲載されていました。

『「入社後すぐ再就活」急増 条件合わず、帰属意識も薄く
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33885810X00C18A8CC0000/

入社後すぐに転職サイトに登録し、再び就職活動を始める新入社員が急増している。大手転職サイトの中には入社1カ月以内のサイト登録者数が10年間で約30倍に増えたところもある。希望した仕事を任されないことに不満を感じたケースが多いが、定年まで1つの会社に勤めようとする意識の希薄化や就職活動の日程前倒しの影響もあるようだ。(後略)』

近年、少子高齢化に伴う生産年齢人口(15~64歳人口)比率の低下により、失業率や求人倍率などの雇用環境が改善されていますので、労働市場が売り手有利になっていることは解ります。

若年(15 ~24歳)失業率を国際的に比較してみても、下のグラフのとおり我が国のそれは最も低い水準にあります。

ただ、入社後直ちに転職サイトに登録し、再び就活をはじめている新入社員が急増しているとなると危機感を覚えます。

実は、意外に思われますが、高度成長期の日本も労働市場は売り手市場で常に転職率の高い社会でした。

当時(高度成長期)の日本は、生産年齢人口の不足を現在のように外国人労働者の受け入れに頼ることなく、公共投資、設備投資、技術開発投資、人材投資などの各種の投資によって賄っていたため、企業は資本装備率と労働者一人当たりの所得を高め、失業率は僅か1%という完全雇用社会を成し遂げていました。

要するに、産業の資本集約化が進みつつも、常に人手不足社会だったので労働市場は売り手市場だったわけです。

因みに、現在と比較して転職率が高かったのですから、必ずしも「現在よりも帰属意識が強かった」とは言い難かったわけです。

ただ、前述の日経の記事のような、新入社員が入社早々に就活するというのは、高度成長期のそれとは性質が異なるように思えます。

入社早々、希望の仕事を任されるケースなどほとんどないのが世の常です。

私も志をたて、国会議員の秘書として政治の世界に飛び込みましたが、最初は政治行政、あるいは政策などとはまったく程遠いい仕事を命じられました。

それでも、そのときの経験は貴重なもので、むろん今の仕事に大いに役立っています。

この世には、20代でしか経験できない仕事や試練があるのだと思います。

その試練を乗り越えなければ、自ら望む仕事のスキルが蓄積されていかないこともありましょう。

高度成長期の日本の転職率が高かったとはいえ、転職していたのは主として「既にスキルを蓄積した人たち」だったのではないでしょうか。

入社後まもない社員が転職していたケースはごく僅かだったと推察します。

スキルの蓄積なしに職を転々とするのは、我が国の国力の一角をなす人材力の低下につながります。

国力の源泉とは、自国の「ヒト(人材)・モノ(生産資産)・技術」というリソースですので。

こんにち、スキルの蓄積のない新入社員の就活が増えている背景には、現在の学校教育があろうかと思います。

恐ろしいことに現在の学校教育は、子供が「不快」に思うことをすべて「悪」としています。

「不快」は本当に悪なのでしょうか。

さにあらず。

人類の歴史は、「不快」こそが進歩の源であることを証明しています。

例えば、人間に進化した猿と、人間に進化しなかった猿の違いは、まさに「不快」という負荷の違いなのですから。

信じられないことに、現在の学校教育は不登校の児童(生徒)に対し、「嫌だったら、無理して学校に来なくてもいいですよ」という姿勢で臨んでいます。

行きたくもない「嫌な学校」に、自らの努力で適応させるのが教育ではないのか。

自分が社会に適応しなければならないのであって、社会が自分に適応してくれるわけではありません。

その訓練機関として「学校」があります。

社会に出たら学校以上に嫌(不快)なことばかりです。

その社会に適応できる人材に育ててあげようという気など、今の文部科学省にはサラサラないようです。

「不快」を自らの努力と進化で克服していく(即ち自己適応していく)、その適応能力を身につけることを「進歩」といいます。

例えば、勉強ができない、足が遅い、嫌いな友達や先生と話をしなければならない、これらはことごとく「不快」です。

これらを自らの努力と進化で克服していかなければなりません。

この「不快」を自らの力で取り除いて「快」に変えることを「進歩」といい、子供を進歩させるのが教育のはずです。

ところが、子供を「進歩」をさせず、学校自らが子供の「不快」を取り除いてしまう。

それでは子供たちは「適応能力」を身につけることができません。

まちがいなく言えることは、「嫌だったら、無理して会社に来なくてもいいんですよ」と言って給料を払ってくれる会社など、この世には存在しないことです。