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議会報告 政治・経済

「ミッドウェー」から学べない日本!?2018/06/05    

毎年6月上旬になると、あえて私はあの“忌まわしき海戦”を心に刻むようにしています。

「あの“負け戦”さえなければ、敗戦国の国民などに生まれることもなかったであろうに…」と。

むろん、その忌まわしき海戦とは「ミッドウェー海戦」です。

この海戦こそが、まちがいなく我が国の命運を決する分岐点でした。

1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃以来、日本軍は陸軍も海軍も破竹の勢いで勝ちまくり、開戦から半年間は負け知らずでした。

とりあえずは本土周辺に敵は無く、本土に暮らす日本国民は少なからず安心して夜を過ごすことができていたのです。

ところが、開戦翌年の1917(昭和17)年4月18日、なぜか首都東京や川崎が空襲されたのです。

当時、太平洋に浮かぶ米軍基地から例え空母が出撃したとしても、空母艦載機の航続可能距離では日本本土までは到達することができないので、本土への空襲はあり得ないはずでした。

しかし米国海軍はミッドウェー島から出撃した空母ホーネットに、なんと海軍機ではなく、より航続距離の長い陸軍機ノースアメリカンB25を16機載せて日本本土を空襲させたのです。

ここが敵ながらあっぱれなところで、残念ながら我が日本軍においては陸軍と海軍とがこのような協力をしたことが一切ない。

因みに、東京や川崎を爆撃したノースアメリカンB25(16機)は、陸軍機では空母に着艦できないので、空襲後は引き返すことなくそのままシナ大陸に逃げていきました。

さて、連戦連勝と言いながらも首都東京(帝都)が空襲されたのですから、日本軍としての危機感は実に大きなものでした。

ノースアメリカンB25を乗せた空母ホーネットは、真珠湾攻撃で取り逃がした3隻の空母の一つです。

連合艦隊司令長官の山本五十六は、慌ててミッドウェー島の攻略、及び残存している3隻の米軍空母の撃破を決意したわけです。

ところで、真珠湾攻撃による屈辱的な敗北を受け、米国海軍は太平洋艦隊司令長官であったハズバンド・キャンメルを直ちに更迭しています。

そして指揮官としての能力が重視され、新たに米国太平洋艦隊司令長官に任命されたのがチェスター・ニミッツです。

米国海軍は、なんと27人もの上官を超え一気にニミッツを司令長官に抜擢するという異例の人事を行ったのです。

恥ずかしながら、真珠湾攻撃で第二次攻撃を決断できず、ミッドウェーでも大敗した南雲忠一をいつまでも更迭しなかった日本海軍とはえらい違いです。

ニミッツが何よりも重視したのは「情報」です。

実はこのころ既に、米軍は日本海軍の暗号解読に成功しています。

ミッドウェー海戦の約1カ月前に行われた「珊瑚海海戦」の際にも既に日本海軍の暗号は解読されていて、待ち伏せをくらっています。

珊瑚海海戦の5日後の5月13日、米国海軍は我が国の航空機運搬艦「五州丸」の暗号解読にも成功しています。

軍令部が五州丸に送った、その暗号電文によれば「基地設備と兵員を乗せAFに進出せよ」とのことでした。

米国海軍は暗号を解読しているものの、AFという地点符号までは解りませんでした。

それまでの解読から、おそらくはAFが「ジョンストン島」「ミッドウェー島」を示していることまでは掴んでいました。

そこで米国海軍の暗号解読班は一計を案じます。

ミッドウェー基地からハワイの総司令部に向けて「ミッドウェーは真水が不足している」という暗号化されていない平電文をわざと送ったのです。

それを日本海軍が傍受します。

傍受した日本海軍は、なんとそれをわざわざ暗号化して「AFには真水が不足している」という電文を本土の司令部に送ってしまったのです。

これによりAFが「ミッドウェー」を示していることが明白となり、日本海軍によるミッドウェー島攻略が近づいていることを知ります。

米国太平洋艦隊は、急ぎミッドウェーに戦力を集中、日本の連合艦隊を待ち受けます。

さらに、ミッドウェーに向かう我が空母赤城、加賀、飛龍、蒼龍の主力部隊による索敵(偵察)も実にいい加減なものでした。

索敵は通常、主力部隊を中心に対象区域を扇子のように扇形にして索敵する区画を分けます。

扇子の扇面(紙部分)を支える骨と骨の間を狭くするように、できるだけ索敵区域を細かく分け、偵察機を時間を変えて必ず2回飛ばすことになっていました。

ところが、ミッドウェー海戦における日本海軍の索敵は、扇面を支える骨と骨の間をやたらと広くしてしまい、1機の偵察機が索敵しなければならない範囲があまりにも広くなってしまいました。

それに、2回飛ばすところをなぜか1回だけという杜撰さ。

恐ろしいことに、ある索敵区画を担当した偵察機は、なんと雲の上を飛んでいました。

不幸は重なるもので、偵察機からは見えないその雲の下を米国空母3隻が航行し、主力部隊に接近していたのです。

この3隻の空母の発見が遅れたために、日本海軍が誇る4隻の空母、及び3,000人以上もの将兵が太平洋の藻屑のごとく消えてしまったのです。

何よりも優秀な技術をもった300人ちかい「飛行機乗り」たちを失ったのは日本軍(日本国)にとっては実に致命的でした。

彼らは、その2カ月前に行われたセイロン沖海戦において、イギリス東洋艦隊を完膚なきまでに撃破しています。

イギリス海軍自慢の空母ハーミス、重巡洋艦コーンウォール、ドーセットシャー、駆逐艦バンパイア、そのほか基地機など50機を沈めています。

その際、例えば空母赤城から出撃した艦上爆撃機による艦爆の命中率は、なんと約90%だったといいます。

あのチャーチルをして「The efficiency of Japanese Air man was really tremendous.(日本の空軍兵たちの効率は途轍もなく凄かった)」と言わしめました。

ミッドウェー海戦ほど、情報を重視した米国と、情報を軽視した日本との差が歴然とでた戦いはなかったと思います。

平電文の傍受を、わざわざ暗号化して電文した日本海軍。

雲の上から索敵した日本海軍。

事前の図上演習において、既に数々の問題点が明らかになっていたにもかかわらず、作戦変更できなかった日本海軍。

それらはまるで、「自国通貨建てで国債を発行している政府に財政破綻などありえない」という正しい情報を無視し、ひたすら「日本は国の借金で破綻するぅ~」と喧伝して国策を誤り、日本を亡国へと向かわせている財務官僚の姿と同じです。

大失態を犯した指揮官(南雲忠一)に全く責任をとらせないあたりもまた、今の日本とそっくりです。

TVで池上何某が言うほどに「歴史から学ぶ」ことは、そう簡単なことではないらしい。