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議会報告 政治・経済

一次史料に基づいた歴史検証2018/01/13    

慶長5(1600)年9月15日、石田三成の率いる西軍と徳川家康の率いる東軍が、現在の岐阜県関ケ原で激突。

その兵力は、東西両軍を合わせて15万とも20万ともいわれています。

朝8時ころにはじまった決戦は、正午過ぎまで一進一退の攻防。

その後、それまで形勢を伺っていた西軍の小早川秀秋が、突如として東軍に寝返り、布陣していた松尾山から西軍・大谷吉継隊の側面に突撃。

突撃された大谷吉継隊は、一溜りもなく総崩れ。

これによりに戦局は一気に東軍に傾き、次々と西軍諸将が討ち取られていきました。

そして東軍は、ついに石田三成の本陣にまで押し寄せ、諦めた三成は伊吹山中に敗走。

伊吹山中に逃げ込んだものの、結局は捕らえられて京都六条河原で斬首となる。

この戦いによって徳川家康による覇権が決定的となり、3年後の征夷大将軍就任と江戸開幕につながっていきます。

これが、いわゆる「関ヶ原の戦い」の定説です。

ところが先日、とあるテレビ番組を観ていて驚いたのですが、前述の「関ヶ原の戦い」の定説は、なんと二次史料に基づいた歴史だったとのことです。

つまり「関ケ原の戦い」について、これまで一次史料に基づく検証はなされてこなかったというのです。

歴史とは史料検証です。

史料検証にあたっては、その史料の信憑性が問われるわけですが、歴史史料には一次史料から四次史料までの分類があります。

…… 歴史史料 ……
一次史料 = 事件当事者が事件当時に書いた日記や手紙などの文章類
二次史料 = 事件発生ののち50年以上経ってから記された文章類
三次史料 = 二次史料を加工したり編集したりした文章類
四次史料 = 作者、作成年代、作成場所が判明しない文章類

ところが昨今、一次史料に基づいた「関ヶ原の戦い」の歴史検証が盛んになっているようです。

一次史料に基づく歴史検証を行っている別府大学(文学部史学科)の白峯旬教授によれば、例えば「関ヶ原の戦い」の主戦場は、関ケ原ではなく関ヶ原の西にあたる「山中」という場所であったといいます。

しかもその合戦はわずか2時間程度で決着がついたのだそうです。

また、合戦当日、定説によれば徳川家康は関ヶ原の桃配山に布陣していたことになっていますが、なんと家康は関ヶ原にもいなかったのだそうです。

そして関ヶ原の笹尾山に陣取っていたとされる石田三成についても、一次史料に基づく調査によると、三成の本陣は笹尾山ではなく、その西に位置する「藤下」という場所だったとのことです。

その証拠として、笹尾山には布陣の遺構すらないのだそうです。

なお、突如として東軍に寝返ったとされている小早川秀秋についても、彼は突如として東軍に寝返ったのではなく、開戦当初から家康方の将として参陣しています。

要するに、私たちが信じて疑ってこなかった「関ヶ原の戦い」は、だいぶ様相の異なるものだったようです。

しかしながら、一次史料に基づいているとはいえ、歴史学会的に定説を覆すことはそう容易なことではないでしょう。

現在の主流派を占める学者や専門家たちが、定説変更を簡単には認めようとしないはずです。

ところで、史料検証といえば私たちが学校で教わってきた昭和史こそ、まさに一次史料に基づかない歴史そのものです。

とりわけ「戦前の日本は悪い国だった史観」、いわゆる「東京裁判史観」などは、明らかに四次史料に基づく歴史検証のうえに成立しています。

この分野においても、過酷な戦後社会の中にありながら、中村あきら先生、小堀圭一郎先生、渡部昇一先生などのご尽力によって一次史料に基づく歴史検証が既になされてきました。

そうした一次史料に基づく「大東亜戦争史観」が、この数年間でだいぶ世に浸透してきたように思います。

にも関わらず、未だ学校教科書の記述は変わっていません。

それを認められない戦後日本の異常な空気があるからです。

そうした中、別府大学の白峯先生らが進めているように、我が国でもようやく一次史料に基づく歴史検証が盛んになってきたことは誠に嬉しいことです。

昭和史を専門とする主流派学者たちに通説変更を求めてもなかなか受け入れられないものと思われますが、ぜひ今後とも「日本の戦前戦中戦後史」の一次史料に基づく検証が為されていくことを望みます。

そして我が国のすべての学校において、一次史料に基づいた近現代史教育を実現してもらいたい。