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議会報告 政治・経済

76年前の今日(真珠湾攻撃)2017/12/08    

76年前の今日、我が国は米国に対して宣戦を布告しました。

といって、べつに好き好んで宣戦布告したわけではありません。

せざるを得ない状況に追い込まれての決断だったのです。

例えば、日本が対米和平に苦心しているとき、米英は既に大西洋上で対日戦での協力を協議していましたし、我が国が主権国家を運営するに必要な資源も止められました。

とどめに「日清・日露の二つの戦争で正当に獲得した権益を放棄し、大陸に進出した日本企業や日本国民を置き去りにしたまま即時撤兵せよ」とまで言われます。(ハル・ノート)

そこで、戦闘機や空母を動かす「石油」の備蓄が底をつき、軍事を背景にした対米平和交渉がおじゃんになる前に短期決戦を挑み、なんとか優勢のうちに終結し、石油ほか資源を輸出してもらおう、という目論みでした。

結果、失敗に終わりましたが…

とはいえ、大戦後の昭和26年5月、米国上院の軍事外交合同委員会で、先の大戦について尋ねられたマッカーサー元帥は次のような答弁をしています。

「Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security」

訳しますと…

「したがって、日本が戦争に突き進んでいった動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだったのです」

このフレーズには前段があります。

それは、「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もない。彼らは綿も羊毛も石油も錫もゴムも、そのほか、実に多くの原料が欠如している。そして、それらすべて一切がアジアの海域には存在していた。もし、これらの原料の供給が断たれたら、日本国内で1,000万人から1,200万人の失業者が出ていたであろう。日本人はそれを恐れていた…(したがって)…」と言って、前述のTheir purpose, therefore, …のフレーズが続くわけです。

要するに「日本の戦争目的は侵略なんかじゃないよ!」と、敵の大将が言っているわけです。

さて、三宅史観では、日本を軍事面で敗戦に至らしめた張本人は山本五十六(連合艦隊総司令長官)と南雲忠一(大将)です。

真珠湾攻撃に至るまでの山本五十六の指導力は誠に素晴らしいものでしたが、戦艦大和が完成して以降の山本五十六にはガッカリさせられることが多い。

例えば、もしも真珠湾攻撃で第二次攻撃(米軍の海軍工廠への攻撃)を断行していれば、約半年の間、米国太平洋艦隊が太平洋での軍事展開をすることは不可能になっていたと言われています。

そうなると米国は、日本海軍の上陸を阻止するため西海岸沿岸に陸上兵力を集中させる必要があります。

結果、米国が英国への援軍として欧州に派遣している軍隊を撤収しなければなりません。

となると、ドイツと戦っている英国が劣勢にたち、やがてはドイツ軍ロンメルの戦車部隊がスエズを占領しカイロを占領し、中東の石油を確保する。

ドイツが中東の石油を確保すると、ドイツと同盟を結んでいた日本への石油供給が再開されます。

石油が安定的に日本に供給されるようになれば、もう日本軍に怖いものはありません。

当時の米国には零戦を撃ち落とすことのできる戦闘機は存在しておらず、戦艦大和を沈めることのできる軍艦もなかったのですから。

米国の著名な作家(日本でいうと司馬遼太郎みたいな人)であるハーマン・ウォーク氏をして「(もしも日本が第二次攻撃を行っていたならば、)日本が米国に勝利できたかどうかは別として、少なくともドローには持ち込めたであろう」と言わしめました。

真珠湾攻撃で第二次攻撃を行わなかったのは現場の総司令官だった第一航空戦隊司令官・南雲忠一です。

第二航空戦隊司令官・山口多聞(中将)は「第二次攻撃をやるべきだ」と進言したそうです。

第二次攻撃を行わなかった、という報告を聞いた山本五十六は「南雲君なら、やらんかもなぁ」と言ったようですが、そんな人をどうして現場の総司令官にしたのか。

もしも南雲でなく、山口多聞を現場の総司令官にしていたならば、あのような悲惨な敗戦も、その後の過酷な占領統治も、現在のような恥ずかしき戦後体制もなかったことでしょう、きっと…

山口多聞を現場の総司令官にできなかったのは、海軍大学の卒業年度が南雲のほうが一つ上だったからです。

この点、今も昔も官僚制度の弊害です。

というか、真珠湾攻撃の際、そもそも山本五十六が現場にいなかったのが致命的です。

考えてみますと、日露戦争の際の東郷さんは常に戦場の第一線に立って指揮を執っておられました。

ところが、大東亜戦争の際の山本五十六は常に大和ホテルの中に籠ってばかりいて一度も第一線にでたことがありません。

いつの時代でも、エリートの劣化で泣きをみるのは庶民です。