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議会報告 政治・経済

グローバル化かグローバリズムの制限か2017/11/16    

グローバリズムとは、カネ・モノ・ヒトの国境を越えた移動の自由を最大化させるシステムのことです。

現在のグローバリズムは、1980年代のイギリスからはじまりました。

いわゆる「サッチャー改革」とも呼ばれる構造改革がイギリスにおいて進められ、次いでレーガン時代の米国においてもグローバリズム路線がはじまりました。

グローバリズムを推し進める上で学問的な支柱となったのが「新古典派経済学」です。

あるいは「新自由主義」(ネオリベラリズム)といってもいい。

なので、①グローバリズム、②新古典派経済学、③新自由主義、この三つは同義です。

具体的には、小さな政府、自由貿易、財政均衡、規制緩和、自由化、民営化、これらはすべて「常に正しい」という考え方です。

常にっ…というところが味噌です。

経済にはインフレ経済(需要過多)とデフレ経済(供給過多)の二つがあり、それに応じて政府の経済政策と財政運営は変わります。

例えば、インフレ期には小さな政府、財政均衡、規制緩和、民営化、あるいは増税が必要になりますが、それに反してデフレ期には大きな政府、歳出拡大、減税が必要になります。

ところが、ネオリベラーたちはデフレを無視して常にインフレ経済を前提にしており、彼らにとってはデフレによって国民が貧困化しようが、日本が小国化しようがお構いなしです。

自由貿易の名のもとに進められているTPPやEPAなどの経済協定もまたグローバリズムに基づくシステムです。

彼らが自由貿易を正統化する根拠思想は、イギリスの経済学者デヴィッド・リカードが提唱した「比較優位論」です。

比較優位論とは、一国における各商品の生産費の比を他国のそれと比較して、一方の国が優位な商品を輸出し、他方の国が劣位な商品を輸入すれば双方が利益を得て、めでたく国際分業が行われるという仮説です。

しかしながら、この比較優位論が成り立つためには絶対的な前提条件があります。

例えば、戦争・紛争状態になれば国際分業など成り立たなくなりますので、まず自由貿易(比較優位論)は平和状態が大前提です。

あるいは、想定外の為替変動が起こっても成り立たない。

でも現実には、各地で紛争やテロが多発し、想定外の為替変動だって起こっています。

また比較優位論の欠点は、比較優位な商品を輸出する国と、比較劣位な商品を輸入する国同士がお互いに完全雇用であること及び資本の移動がないことが前提になっています。

例えば比較劣位な商品が大量に輸入されてくれば、やがてその産業で労働する人たちは失業することになりますが、その人たちは失業しても次の日から他の何らかの職業につくことができるという前提。

あるいは比較劣位な商品を効率よく製造するために、人件費の安い第三国に工場を移転しないという前提。

これらを前提にした比較優位論を根拠にして、グローバリズムというカネ・モノ・ヒトの移動を最大化せよ、と言うのですからかなり無理があります。

とにかく彼らは、「自由な競争市場(マーケット)にさえ委ねていれば、政府や規制なんか無くともすべてがうまくいくんだ」と言います。

国民生活を守る「安全保障」を自由な競争市場に委ねることなど、本当にできるでしょうか。

例えば、食料安全保障!

仮に、穀物生産に関する関税や規制をすべて撤廃したらどうなるか?

農地面積を含め、さまざまな制約に阻まれる日本の穀物生産量及びその自給率は、あっという間に低下していくことでしょう。

かつてジョージ・W・ブッシュ(元米国大統領)は、「穀物を自給できない国は主権国家とは言えない」と珍しくまともなことを言っていましたが、下のグラフのとおり、日本は既にお米以外の穀物を満足に自給できていません。

この上さらに、日本の穀物生産量とその自給率を低下させるようなネオリベ構造改革は慎まなければなりません。

これからの日本には、グローバル化ではなくグローバリズムの制限が求められています。