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議会報告 川崎市政

川崎市の不思議(大気汚染訴訟と健康都市宣言)2017/11/10    

意外と知られていない歴然たる事実ですが、川崎市の大気汚染濃度(SO2等)は、昭和44(1969)年の段階で既に他都市並みに改善されています。

※SO2とは二酸化硫黄のことで、その主な排出源は工場とされる

下のグラフのとおり、昭和42(1967)年の時点は、確かに川崎市の数値だけが突出していたと言えますが、同年には『公害対策基本法』、翌昭和43(1968)年には『大気汚染防止法』がそれぞれ制定され、各企業による環境対策が講じられるに至って川崎市の汚染濃度は改善に向かいました。

汚染濃度の改善は、主として企業が法律に基づいて講じてきた対策の成果であって、いわゆる「革新市政」が川崎の公害を克服したというのは虚構です。

実際、川崎に革新市政が誕生した昭和46(1971)年には、大気汚染は既に他都市並みに改善されているのですから。

それから既に半世紀近くも経過しているにも関わらず、未だ川崎市が「公害のまち」という都市イメージを持たれているのは誠に不思議であり残念です。

私には、更に不思議なことがあります。

それは、平成6(1994)年1月に、国と首都高速道路公団及と工場12社を相手どり、川崎市に在住または通勤している公害健康被害補償法による公害病認定患者が原告となって「川崎大気汚染訴訟」がはじまったのですが、その裁判の真っただ中に、なぜか事実上の公害克服宣言とも言うべき「健康都市宣言」が川崎市で為されたことです。

どうして、この健康都市宣言が事実上の公害克服宣言だったのかと言うと、健康都市宣言には「私たちは、多摩川や海辺の潤いと多摩丘陵の緑などの恵みを健康に生かし安らぎのある環境づくりに努めます」とあります。

即ち、「臨海部の潤い」「緑などの恵み」というように現在進行形で表現されていますので、既に公害は克服されているということです。

むろん、そのとおりです。

下の図は、川崎大気汚染訴訟と健康都市宣言の時間的関係をあらわしたものです。

健康都市宣言は、行政側が議会に提案し、市議会の全会派一致による賛成によって平成9(1997)年3月に可決・成立しました。

その際、市議会や行政に対して、「健康都市宣言」に反対!、という意見や陳情、請願は全く出ておりません。

即ち、すべての川崎市民が納得した上での「健康都市宣言」(=公害克服宣言)だったと言えます。

とすると、裁判を起こし闘っていたのはいったい誰なのでしょうか…?

上の図が示すとおり、原告は31億円もの巨額の和解金を企業から得たとはいえ、国や首都高速道路公団との公害訴訟の真っただ中に、事実上の公害克服宣言である「健康都市宣言」がどうして一人の反対もなく可決・成立されたのでしょうか…不思議です。

あまりにも不思議なので、去る9月議会において、当時の事情をよくご存じであろう菊地副市長に質問をしたところ、次のような答弁を頂きました。

「『健康都市宣言』の策定にあたっては、市議会において大気汚染に関する様ざまな議論があった上で全会派一致で可決を頂いており、反対の陳情、請願等もなかった事実などから、最終的には市民総意のもとに行ったものと考えるのが自然ではないかと考えています」(菊地義雄・副市長)

要するに、副市長も不思議に思われているとのことです。

もしもご存じの方がおられましたら、ぜひ教えてください…

川崎大気汚染訴訟は、平成11(1999)年5月に東京高裁で和解が成立し終了しました。(裁判結果は上位判決をもって最終)

因みに申し添えておきますが、川崎市はこの裁判の被告でも何でもなく、成立した和解の中においても何ら法的な義務は課せられていません。

なのに未だ「あの裁判で川崎市は断罪された」とか、「川崎市の北部は未だ大気が汚染されている」とか言って、川崎市を貶めて憚らない人たちがいます。