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議会報告 川崎市政

「いざっ」という時のための保険2017/09/23    

ただいま川崎市議会では、9月定例会(決算議会)を開会中です。

先週は、昨年度の決算を審査するための決算審査特別委員会の分科会が開かれ、私は昨日の環境分科会で、上下水道局と交通局に対して質問を行いました。

私が質問に立つ順番は、無所属会派であることもあっていつも最後です。

なので順番が回ってくるまでの間、他の議員さんたちの質問を聞きながら待つことになります。

たいていの場合、皆さん口を揃えて言われることは「コスト縮減」と「効率化」です。

むろん「コスト縮減」も「効率化」も悪いことではなく、それを否定する気などさらさらありません。

とはいえ、コスト削減や効率化なるものが常に善といえるか、というと決してそうでもありません。(但し、将来の人手不足を解消するための効率化は絶対に必要)

例えば、私の住む多摩区には二十数カ所のさく井(井戸)があり、こうした独自水源としての井戸水が私たち川崎市民の喉を潤してきたわけです。

ところが川崎市は「ダウンサイジング(効率化による給水能力の縮小)」の名のもとに、これらのうち、いくつかのさく井を潰そうとしています。

一部のさく井については、飲料水を供給可能な災害用井戸として残したり、あるいは生田浄水場用地への整備が予定されている親水施設などに利用したりするなどとされていますが、その他のさく井は間違いなく潰されます。

理由は、むろん「事業の効率化」です。

はて、本当にそれで良いのでしょうか?

一例を挙げます。

2005年8月、大型ハリケーン・カトリーナが米国南東部に襲いかかりました。

その被害総額は約12兆円という甚大なものだったと記憶しています。

そのとき、ハリケーンの影響で製油所の一カ所が機能不全に陥り、米国では一時的にガソリン供給が滞ってしまいました。

たった一カ所の製油所がやられただけで…です。

一方、2011年3月の東日本大震災のとき、東北を含め我が国では深刻なガソリン不足など発生しませんでした。

なぜかというと、当時の日本における製油所の稼働率は75%で、そこそこ低い水準にあったからです。

カトリーナの際の米国における製油所の稼働率は、なんと90%以上という高い水準にありました。

即ち、稼働効率が良すぎたのです。

良すぎたがために、災害によって一気に供給が途絶えてしまったわけです。

安全保障とは、「いざっ」というときに国民の求めるニーズを充たす力のことです。

そのニーズとは、安全であり、平和であり、治安であり、防災であり、救急医療であり、エネルギーや食料等の安定供給であり、そして災害時における水や食料や衣服などの物資および情報のことです。

それら国民の求めるニーズを「いざっ」というときに供給できるかどうかにかかっています。

よって、ある程度の稼働率の低さは「いざっ」という時のための保険みたいなものです。

少なくとも、水や食料やエネルギーという物資(戦略物資と言っていい)については、それなりのバッファ(余裕)が必要なのです。

想像してみて下さい。

災害時に水(飲料水)が足りない、となると悲惨です。

くどいようですが、このように水道事業は公的なニーズを担う立派な安全保障分野です。

その水道事業を過度に効率化して、「いざっ」というときに困るのは私たち日本国民なのです。

そもそも我が国は、「超」が付くほどの世界屈指の自然災害大国です。

そんな日本国が、国民の安全保障にかかわる事業において、効率性ばかりを追求していいはずがない。

断っておきますが、川崎市には深刻な財政問題など存在していません。

現に財政当局は「発行市債をデフォルトする確率はほぼゼロ%だ」と言っています。

むしろ黒字を出し過ぎて、市内経済のデフレ化(市民の貧困化)を助長しているくらいです。

上下水道だけでなく、あらゆる公共インフラに求められているのはコストカットではなく、むしろ将来のための「投資」です。

コストカットからは何のイノベーションも生まれません。

イノベーションを生むのは「投資」です。

とりわけ、将来の人手不足は、「投資」によってでしか埋めることができません。

その「投資」を怠り、コストカットによる効率化ばかりを追求していると、水であれ何であれ「いざっ」というときの供給能力を毀損していくだけです。

因みに「コストカット」と「効率化」を殊更に主張していた議員の一人は、以前、舛添みたいな政務活動費の不適切な使い方(せこい使い方)で新聞に叩かれ自主返還していた議員でした。

その議員が「コストカットの必要性」を説く根拠は、ネオリベラリズム(新自由主義)か何かに基づく思想かと思いきや、単なる「せこさ」だったのか!?