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議会報告 政治・経済

「議論」を放棄する国会議員!?2017/09/09    

建国記念日を迎えつつも、北朝鮮は弾道ミサイルの発射を遅らせる可能性がある。

そう指摘しているのは、ネクシアル・リサーチの航空宇宙コンサルタント、ランス・ガトリング氏で、太陽フレア(太陽表面での強い爆発)によって電子機器が影響を受ける可能性があるとのこと。

ミサイルは通常、放射エネルギーに対して厳重に保護されているが、太陽フレア発生中の発射によりデータや装備が失われる可能性を恐れて発射を控えるのではないか、ということです。

ただ、ミサイルを発射せずとも、それに代わる北朝鮮の何らかの挑発行為によって、あるいは警戒監視行動にあたっている米韓軍と北朝鮮との間で偶発的な紛争が始まる可能性も否めません。

いずれにしても、予断の許されない状況に変わりはないと思います。

さて、一昨日、石破茂元幹事長が「非核三原則の見直しを議論すべきだ」と発言されました。

それに対し、菅官房長官は「これまでも非核三原則見直しを議論しておらず、今後も議論は考えていない」と、いとも簡単に否定され、小野寺防衛大臣も「政府として一貫して非核三原則の中で対応している。スタンスは変わらない」と菅官房長官と足並みをそろえた発言に終始しています。

つまりは、非核三原則の見直しについても核武装論と同様に「議論すら許さない」ということです。

まさに「戦後レジーム」そのものですね。

政治家による「議論」も、北朝鮮および北朝鮮に対する米国・ロシア・Chinaの態度をより真剣にさせるための立派な外交(外政)手段であることを彼らは知らない。

敗戦ショックによる後遺症からなのか、未だ我が国では国体と国民を守るべき政治家が、正面から立ち向かった軍事についての真っ当な議論ができないでいます。

国民世論レベルでも、核武装反対論者の多くが「核は怖い」とか「核は嫌い」とかいう感情論での反対で、一方の核武装推進論者の多くも「核さえ持てば何とかなる」という程度の単純論です。

まずは、政治家も国民も「通常兵器」と「核兵器」の役割の違いは何なのか、という基本的な知識ぐらいは持つべきではないでしょうか。

例えば、第二次世界大戦終結後、相互確証破壊兵器(MAD兵器)たる核兵器が登場したことによって、あるいはそれを覇権国が保有することによって、国家間決戦による絶対的戦争の時代に終止符が打たれた、という「核の効用」は少なくとも認めざるをえないでしょう。

もし川崎市が求めるような「核兵器が廃絶された世界」が訪れた場合、どうなるか。
http://www.city.kawasaki.jp/shisetsu/category/21-21-1-0-0-0-0-0-0-0.html

再び人類は国家間決戦をはじめ、通常兵器による果てしなき「殺し合い」(絶対的戦争)を復活させることになるでしょう。

通常兵器は、その使用者に「相手を殺すことはできても自分は殺されないかもしれない」という希望を与える兵器なのです。

絶対的戦争の時代の戦死者数及び犠牲者数と、絶対的戦争が終わりを告げた以降のそれを比較してみますと、圧倒的に後者のほうが少ない。

マンデス元フランス大統領が言ったように「政治は最も悪くないものの選択である」とするのなら、私たち人類は少しでも「より良い道」を探るしかない。

といって、複数の国家が核兵器を保有する、いわゆる「核の拡散」という核保有のドミノ現象が起きてしまうと、その抑止効果は消滅します。

こうした現実を冷静にみなければならないわけです。

その上で政治家たちが議論すべきは、もしも我が国が核兵器を保有する場合、その保有目的は何か、その使用目的・使用場面をどのように限定するのか、その場合の友好国との連携はどうするのかなどなど綿密な検討がなされなければなりません。

即ち、核武装の議論をするには、政治・外交、軍事・法制・財政のすべてについての基礎知識が求められるのです。

そうした知識をもたず、そして議論もせず、ただ「日米安保さえ強化すれば安全だ」とか「軍隊さえ持たなければ戦争にならない」とか「憲法9条さえ守っていれば恒久平和が実現される」とか「核さえ持てば誰からも攻撃されない」といった根拠なき理論で安全保障問題を片づけてしまうようなことは止めてほしい。

そもそも国防に責任をもつべき国会議員が、安全保障にかかわる重要な議論を最初から放棄するのであれば、その職を辞すべきです。