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議会報告 政治・経済

どんな国にも一つくらいは見習うところがある2017/08/22    

72年前の今日(8月22日)と言えば、あの占守島(しゅむしゅとう)における凄惨な戦いが終結した日です。

スターリン率いるソ連軍は、日ソ不可侵条約を一方的に破棄して8月9日に参戦してきました。

不可侵条約は、たとえ破棄されても1年間は条約としての効力を有しますので、ソ連の行為はむろん国際法違反です。

当初、スターリンは8月11日に日本に対して参戦する予定だったようです。

ところが、広島と長崎に原爆が投じられた後だと、日本が降伏してしまいソ連が参戦する大義が無くなってしまうことから、8月9日の長崎に原爆が投下される直前に国際法を破りソ満国境から侵攻してきたのです。

次いで8月11日には、樺太にも侵攻してきました。

何のために?

ソ連が北海道の北半分を掠め取るために、です。

つまり、8月11日に南樺太の占領作戦を開始したソ連は、南樺太の獲得はもちろん、次に予定されていた北海道侵攻のための拠点を確保したかったのです。

どこまでも汚い国だ。

8月14日には、我が国はポツダム宣言を受諾しています。

翌15日には玉音放送により、無念の「敗戦」が日本国民に告げられ、戦地に赴いていた日本軍に停戦命令が出されました。

そして翌16日の正午には日本軍は整然と武装解除しています。

にも関わらず、樺太と満洲ではソ連による侵略戦闘行為が依然として続いていたのです。

武装解除したくともできない現地の日本軍は、非道なソ連軍から無辜の民間人を守るために必死の防衛戦を続けていました。

侵攻してくるソ連軍から民間人を守り逃がすためには、なんとか時間を稼ぐ必要がありました。

その時間稼ぎのために、現地日本軍は身を挺して戦ったのです。

むろん凄惨な防衛戦でした。

ところが8月18日(日本軍が武装解除した二日後)になると、今度はクリル(千島列島)の北東端の島である占守島にソ連軍が侵攻してきたのです。

占守島を守る日本軍守備隊第91師団は、急遽やむをえず武装解除を取り止め、ここでもまた決死の防衛戦が強いられたのです。

その占守島での戦闘が終結したのが72年前の今日です。(停戦のための協定締結は前日の8月21日)

このように、占守島や樺太や満洲での日本軍による決死の防衛戦があったればこそ、北海道の北側半分がソ連に掠め取られることがなかったのです。

現在を生きる私ども日本国民は、命をはって戦いぬいた英霊に対し、心から感謝と哀悼の誠を捧げるべきだと思います。

今年の8月15日、靖國神社に参拝した閣僚が一人もいなかったのは誠に残念です。

なお、これらの戦いでソ連の捕虜となってしまった日本兵や民間人が、不当に抑留されてしまったのはご存じのとおりです。

これがいずこやの国であれば、ロシアに対して戦後賠償と個人補償と政府による謝罪を永遠に請求し続けていることでしょう。

「ロシアは歴史の反省が足りない」とか、「ロシア大使館の前に抑留者像を立てよう」とか言って…

ソ連はサンフランシスコ講和条約に参加していませんので、法律的な観点からも我が国はロシアに対し賠償を請求する権利が十二分にあります。

少しはあの国を見習ったらどうか。