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議会報告 川崎市政

間違った「社会通念」との闘い2017/06/16    

社会全般で共有化された、もしくは一般化された暗黙の了解事項を「社会通念」というのでしょうが、その社会通念さえ常に正しいものであってくれれば、現今の政治行政が抱え込んでいる多くの問題はもっと容易に解決されていることでしょう。

残念ながら、社会通念が常に正しいとは限りません。

行財政問題がまさにそれで、例えば社会通念上、①「このままでは日本の国は借金で破綻する」し、②「日本は公務員が多くて税金を無駄遣いしている」し、③「行政は赤字を出してはならない」し、④「行政は将来のためにおカネを貯めこまなければならない」し、⑤「人口が減少する日本にはこれ以上の公共インフラはいらない」とされています。

しかし、これらの社会通念は悉く明らかな間違いです。

まず①について…古今東西の歴史をみても、100%自国建て通貨で国債を発行している政府がデフォルト(債務不履行)に陥った事例を私は知らない。

もし日本だけがそうなるというのであれば、ぜひその根拠を示してほしい。

現に、日銀の量的緩和によって政府の実質的な債務は減少しています。

②について…OECDの調査によれば、労働人口に占める公務員(国・地方)の比率は下のグラフのとおりです。

因みに、上のグラフデータには、いわゆる外郭団体への再就職(天下り)も含まれています。

データが示すとおり、日本だけが突出して公務員が多い、というのはほぼ迷信です。

③について…もしも行政が赤字を出さなかったら、社会インフラは整備をされず、有効需要となる貨幣も供給されません。

デフレ期の貨幣供給不足は、国民をさらに貧困化させます。

④と⑤について…おカネは金銀などの貴金属とは異なり単なる「債権債務の記録媒体」に過ぎません。

国家がおカネを貯めこんだところで、国民の安全が脅かされ、福祉や教育の水準が低下し、国民に雇用もなく所得を稼ぐ機会がなければ何の意味もありません。

それに、政府がおカネを貯めこむということは政府が消費や投資をしない、ということになりますので、政府サービス(それを享受しているのは国民)は低下し、将来世代のためのインフラを残すこともできなくなります。

私ども現代の世代が利便性の高い生活を送ることができるのも、かつての日本人が将来のために投資(借金)をしてくれたお陰です。

その投資による恩恵だけを受けて、将来世代のためには投資(借金)をしない、というのはいかがなものでしょうか。

さて、まちがった社会通念とは異なり、国民経済には真理ともいえるいくつかの原則があります。

それは…
原則1) おカネは使っても消えない
原則2) 誰かの赤字は誰かの黒字
原則3) 投資(借金)こそが成長の源泉

借金を悪としていいのは、予算制約式に縛られる家計や個人だけです。

行政や企業という予算制約式に縛られない経済主体にとっては、借金は悪ではありません。

企業が投資(借金)をしてくれることで生産性は向上され、経済は成長していくのです。

なので借金こそが成長の源泉なのです。

あるいは、L・ランダル・レイは、『現代貨幣理論』のなかで「正常なケースは、政府が財政赤字を運営していること」と言い切っています。

即ち、行政の黒字は異常な状態である、と。

また、公的部門の収支  + 民間部門の収支 + 海外部門の収支 = ゼロ

という恒等式がある以上、誰かの赤字は誰かの黒字であることもよく理解できます。

国民経済は、行政、企業、家計、海外の4つの経済主体による資金循環で成り立っています。

行政が黒字によって資金を吸い上げれば、吸い上げられた民間が赤字になるのは当然です。

上の図をご覧頂きたいのですが、デフレ期であるにもかかわらず、政府が収支を黒字化させてしまうと、金融経済(ストック)からの貸出しが滞りますので、余計にデフレ化してしまいます。

むしろ政府が赤字化することで、貸出しを拡大することが可能なのです。

貸出しが増えると新たな貨幣がフロー経済(実体経済)に供給されることになりますので、デフレが解消され企業投資や家計消費も改善されます。

でも心配は不要です。

政府が使ったおカネは名目GDPに比例して税収で回収されます。

税収弾性値といって、名目GDPが1%上昇すると税収は3~4%上昇します。

だからこそ、原則1)のとおり、おカネは使っても消えないのです。

使うと消えてしまうのは家計だけです。

“家計簿”の発想で国民経済を論じてしまうことの危険がここにあります。

残念ながら、現在の日本には、国民経済を家計簿で考えてしまう「社会通念」が跋扈しています。

間違った「社会通念」と私の闘いは、まだまだ続きそうです。