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議会報告 政治・経済

すべては1995年からはじまった2017/06/04    

我が国は1998年以降、デフレ経済下にあります。

デフレによって内需が萎んでゆく中、2000年代(2002~2008年)には米国の住宅バブルという海外特需によって、一時的にデフレが緩和した時期もありましたが依然としてデフレです。

主としてデフレは、次の2つの過程を経て醸成されます。
1) バブル経済の崩壊
2) 政府の緊縮財政

バブルの崩壊は、基本的に土地や株価などの金融資産の暴落のことを指します。

例えば、5,000万円で購入した有価証券が、バブルの崩壊で120万円になってしまう。

すると、企業であれ、家計であれ、バランスシート(貸借対照表)の資産の部(借り方)が縮小し、負債の部(貸し方)が拡大します。

即ち、債務超過に陥ります。

その傷ついたバランスシートを修正するために、企業も家計も貯蓄に走ります。

貯蓄とは、貯金及び債務返済のことです。

獲得した所得から貯蓄にまわってしまった分が、そのままGDP(消費・投資)の縮小になります。

加えて、地方行政を含む政府までもが、緊縮財政をはじめたとき、デフレに突入します。

1991年にバブルが崩壊したものの、しばらくは政府が財政出動をしてくれていたために、デフレに突入することはありませんでした。

ところが、1995年に時の大蔵大臣・武村正義なる御仁が財務省に知恵をつけられていわゆる「財政危機」を宣言し、1997年には「財政構造改革法」が制定され2005年までに赤字国債を削減していく目標が立てられました。

そして1997年4月には消費税増税(3%→5%)が断行されて、翌年(1998年)にはデフレ突入となりました。

以来、我が国は20年間のデフレです。

橋本内閣からはじまった緊縮財政路線はその後も政権中枢部に引き継がれることになりました。

小泉政権下の2002年には、「10年でプライマリー・バランス(PB)をゼロにする」という財政目標が設定されることになります。

上のグラフのとおり、1998年以降のPB赤字の縮減は橋本内閣のもの。

2002年以降のPB赤字の縮減は小泉内閣のものです。

因みに1998年に突如としてPB赤字が拡大したのは、日本経済が先述の経緯によってデフレ化したためであって、公共事業のやり過ぎではありませんのでご注意を。

小泉内閣時代の緊縮財政において、そこそこ成長率を保つことができたのも、前述のとおり米国の住宅バブルという海外特需があったからです。

いずれまた詳細にご説明したいと思いますが、デフレ下にPB赤字を縮小すると余計にデフレ化します。

とりわけ官民挙げてのPB赤字の縮小は、貨幣供給量(GDPになる貨幣の量)を縮小させるからです。

今まさに、安倍政権もまた『2020年PB黒字化目標』にむかって緊縮財政を断行しています。

そのことからデフレが深化して、国民経済をズタズタに貧困化させています。

あれからもう20年です。

日本国民の貧困化!

すべては1995年からはじまったのです。