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議会報告 政治・経済

「占領政策基本法」記念日!?2017/05/03    

本日は、5月3日です。

昭和22年の今日、私ども日本国民にとってはゴミ(5・3)に等しい占領政策基本法が施行されました。

昭和22年といえば、GHQによる占領下で日本国に主権が存しなかった時代です。

GHQ(マッカーサー)が、この日に占領政策基本法を施行させた理由は、5月3日が極東国際軍事裁判(以下「東京裁判」)を開廷した日だったからです。

要するに、占領政策基本法の施行日をどうしても日本にとって屈辱的な日にしたかったのです。

このころの米国は、日本を50年から100年にわたって半永久的に統治しようとしていましたので、国際法に反してまで占領下の恒久法を日本国に押し付けたのです。

占領政策基本法の制定過程は次のとおりです。

昭和21年の2月初旬、マッカーサーはGHQの民政局に草案の策定を指示します。

GHQ民政局は、なんと2週間も経っていない2月11日には草案を完成させます。

どうして2月11日?

その日が、日本国の紀元節(建国記念日)だったからです。

そして、完成した草案を日本政府に伝えたのが、翌日の2月12日です。

どうして2月12日か?

その日が、リンカーンの誕生日だったからです。

次いでマッカーサーは、その草案を2月22日に閣議決定するように日本政府に指示します。

どうして2月22日か?

その日が、初代大統領のワシントンの誕生日だったからです。

そして11月3日を公布日にしました。

どうして11月3日か?

その日が、明治節(明治天皇の生誕日)だったからです。

そうすれば、ちょうど翌年の5月3日(東京裁判開廷日と同じ日)を施行日にできるからです。

とにかくマッカーサーは記念日がお好きです。

ところがその後、米国の占領政策が大幅に変更されるに至る大きな事変が勃発します。

昭和25年から3年間にわたって戦われた朝鮮戦争です。

北朝鮮・中共軍・ロシア軍の連合軍に攻め込まれ、危うく朝鮮半島から追い出されそうになったマッカーサーは、北朝鮮を後方から支援している満州地域への爆撃と東シナ海に面するシナ大陸の全港封鎖の必要性を痛感します。

そこでマッカーサーは、「ハッ!」と気づくことになります。

「なんだ、満州とシナ大陸の安定は日本の安全保障上の生命線じゃないか」と。

ここではじめて、彼は戦前の日本の主張の正当性を理解したのです。

またこのことで、米国による占領政策の方針が変わることになりました。

日本国を早急に独立させ、ある程度の自衛力を持たせて共産主義の防波堤にしよう…と。

でも、日本国に独立を認めてしまうと、当然のことながら主権国家として自主憲法の制定が為されます。

そうすると「せっかく拵えた占領政策基本法が無駄になっちゃうけど仕方あるまい」と米国政府は考えたにちがいありません。

ところが…

昭和27年4月28日の独立回復(主権回復)から既に65年も経っているのに、なんと未だに占領政策基本法が廃止されていないことに最も驚いているのは当の米国でしょう。

そうです。

占領政策基本法とは、現在の「日本国憲法」のことです。

憲法とは主権の発動です。

よって、主権を発動できない占領下において制定された憲法は憲法に値しない。

それが私の憲法観です。

さて、今年も全国津々浦々で「9条を守ろう護憲集会」が開かれることでしょう。

私のようなものには、そうした集会へのお声がかからないので誠に残念なのですが、もしお呼び頂けたら、ぜひ訊いてみたいことがたくさんあります。

例えば、憲法9条で我が国は交戦権(交戦資格)を放棄させられていますが、交戦権(交戦資格)のない国がどのようにしてサンフランシスコ講和条約を締結できたのか?
(※注:開戦、停戦、終戦、講和は、すべて交戦資格の範疇です)

そのことを突き詰めていくと、戦後の我が国は、けっして日本国憲法に基づいて独立を回復したのではないことを理解できます。