〒214-0012
川崎市多摩区中野島3-15-38-403
TEL:044-934-3302 / FAX:044-934-3725



議会報告 政治・経済

天才勘定奉行・荻原重秀2017/03/28    

評論家の中野剛志先生によれば、現在の主流派経済学の基本的な貨幣観は「金属主義」なのだそうです。

なるほど主流派経済学なるものが、まったく現実経済に対応できない理由の本質がよくわかるような気がします。

金属主義とは、例えば1万円の貨幣は、1万円分の金属(鉱物)の価値(裏付け)がなければならない、という貨幣観です。

それとは逆に「貨幣には金属(鉱物)の裏付けなど必要ない、ただの紙切れだって立派な貨幣なのだ」という貨幣観が「表券主義」です。

金属主義 vs 表券主義

実は我が国では、江戸時代において既に同様の議論が為されています。

ときは6代将軍・徳川家宣の治世において、今でいうところの内閣官房参与のような役職で儒学者として幕政に対し強い発言力をもっていた新井白石は金属主義でした。

一方、勘定奉行(今でいう財務大臣)の荻原重秀は表券主義でした。

金属主義の新井白石 vs 表券主義の荻原重秀

…という構図です。

実は当時も、今の日本と同様にデフレ経済でした。

戦国時代から元禄期までの日本経済は、世界に類例がないほどに高度経済成長を成し遂げました。

経済成長は、生産者一人当たりの生産性の向上がもたらします。

一人当たりの生産性の向上、即ち国内の生産力(モノやサービスをつくる力)が飛躍的に拡大した時代です。

戦国時代に培われた様々な技術が、平和な江戸時代に入って民政化されていったのも想像に難くはありません。

ところが当時の日本の貨幣は新井白石の言う「金属主義」で、1両の小判は1両分の金貨でなければならない、とされていました。

しかしこれでは、幕府(日本政府)保有の金属量が通貨発行量の限界になってしまいます。

まさに金本位制です。

生産力(供給能力)が拡大していく一方で、流通する貨幣の量が不足してしまうと、どうなるか?

ふつうにデフレです。

佐渡金山の産出量に陰りが見えはじめたころから幕府の力も衰えはじめた、という説があるのもそのためでしょう。

そこに元禄バブルの崩壊がきます。

日本じゅうの武士、町人、商人がこぞって借金返済と貯蓄の拡大に向かいました。

なので完全にデフレ化します。

まるで昭和バブルが弾けて、平成デフレに突入した現代そのものです。

そこで、天才勘定奉行であった荻原重秀は、「おカネなんてものは瓦礫でも石ころでも構わない」「とにかく、通貨発行量の不足を解消すべきだ」という極めて真っ当な金融政策を提言しました。

マクロ経済という概念などなかった当時、どうして荻原重秀がそのような貨幣観をもつことができたのか不思議でなりません。

まさに天才です。

ところが、この荻原重秀の提言を悉く否定したのが新井白石です。

いつの時代でも正しい政策を邪魔するのは、実務や実体を知ろうとしない意固地な御用学者なのでしょう。

まるで浜田宏一先生、伊藤元重先生、吉川洋先生のように。

さて、荻原重秀の貨幣改鋳(通貨量拡大政策)により、いったんはデフレの解消に向かったものの、結局、幕府は金属主義から脱却することができませんでした。

あまつさえ、8代将軍吉宗以降、デフレを助長する緊縮財政が徹底されました。

そのため荻原以降の江戸経済は、幕末に至るまで慢性的なデフレ経済が続くことになってしまったのです。

倒幕が黒船等の外的要因によって為されたことも事実ですが、その根底にはデフレ経済への不満という反動エネルギーが庶民の中に蓄積されていたことがあったのだと思います。

詰まるところ、「金属主義」は、物々交換経済を前提にしています。

物々交換経済を前提にしてしまうと、実体経済にデフレギャップもインフレギャップも存在しないことになります。

なので、金属主義を後生大事にしている主流派経済学では「デフレもインフレも単なる貨幣現象であり、需要の多寡ではない」という結論に至ります。

それこそが、主流派経済学がデフレ経済に対応できない理由の一つです。

この一点で主流派経済学は荻原重秀を超えられない。