〒214-0012
川崎市多摩区中野島3-15-38-403
TEL:044-934-3302 / FAX:044-934-3725



議会報告 政治・経済

竹島や尖閣で我が国が為すべきこと2017/02/23    

昨日(2月22日)は、「竹島の日」でした。

平成17(2005)年3月16日に、島根県議会は「2月22日」を「竹島の日」とする条例を可決しました。

条例制定の目的は、むろん韓国に不法占拠されたままの竹島の領土問題を風化させないためです。

『少女像「問題複雑化させ遺憾」=「竹島の日」式典で政務官-島根
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017022200940&g=pol

島根県が竹島(隠岐の島町)の領有権確立を目指して条例で定めた「竹島の日」の記念式典が22日、県などの主催により松江市内で開かれた。(後略)』

竹島が日本国の領土であることを示す資料は、例えば『改正日本興地路程全図』(1779年)のほか、我が国には多数あります。

以下、竹島が正式に日本国領土として編入された史実を列記します。

元和4(1618)年、鳥取藩の大谷家、村川家の両家が徳川幕府から鬱陵島(うつりょうとう)を拝領し漁業を営んでいました。

因みに、元和4(1618)年といったら「大坂夏の陣」の3年後です。

鬱陵島は船で向かうと竹島の更に先に位置します

竹島は鬱陵島へ向かう途中の寄港地だったのです。

どうやら寛文1(1661)年の頃までには、大谷家と村川家の両家は幕府から竹島を拝領していたようです。

その後、日朝間で鬱陵島漁業権を巡って紛争が生じました。

外交交渉の結果、元禄9(1696)年に、幕府は鬱陵島のみを朝鮮領土と認め、両家の鬱陵島への渡航だけを禁止しました。

ここが重要です。

鬱陵島のみを、認めたのです。

なので幕府は竹島への渡航は禁止していません

明治38(1905)年、明治政府は、島根県の上申に基づいて、竹島を島根県所管とすることを正式に閣議決定しました。

これをうけ、島根県は同年2月22日に、竹島が正式に島根県に編入されたことを内外に告示しました。

そうです。

島根県議会が2月22日を「竹島の日」にしたのはこのためです。

時代は更に下ります。

昭和26(1951)年9月8日、サンフランシスコ講和条約が調印されました。

即ち、翌年の昭和27(1952)年4月28日に、我が国は晴れて主権国家として独立することが決定したのです。

ここも重要ですが、サンフランシスコ講和条約においても、竹島は日本国の領土として認められていることです。

ところが、講和条約が発効する直前の昭和27(1952)年1月、韓国は突如として、「李承晩ライン」なる国境線を宣言して、その線の韓国側に竹島を入れました。

残念ながら、当時の我が国はGHQによる占領統治下であったので、主権国家として外交上の抗議ができません。

その直後の2月、韓国は「李承晩ライン」を侵犯したとして日本漁船を拿捕しました。

このとき、漁労長は射殺されています。

以後、200隻以上の日本漁船と3000名以上の日本漁民が拿捕されています。

昭和29(1954)年以降、我が国は韓国に対し、竹島の領有権問題を国際司法裁判所に付託することを提案しています。

以後はご承知の通り、韓国は付託を拒否して逃げ回り続けています

歴史的な経過から、もし国際司法裁判所に付託されてしまうと自分たちに勝ち目がないことをよく理解しているのでしょう。

素行の悪い隣国と接していかなければならないのは我が国の地政学上の宿命です。

避けて通ることのできない現実がそこにあるのですから、まずは我が国としてできることからやっていくほかはありません。

まず手始めとして、日本政府は、尖閣でシナにやられていることを竹島で行い、竹島で韓国にやられていることを尖閣でやればいい。