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議会報告 川崎市政

後世に伝えよう! 穴太衆の石垣造り2017/01/10    

1576(天正4)年、それまで見たことのない未曾有の城の工事が琵琶湖畔の地(滋賀県近江八幡市)ではじめられました。

織田信長が当時の技術力の粋を結集して築城した安土城です。

安土城を完成させた最大の技術革新は、なんといっても本格的な石垣の築造です。

城郭考古学の専門家であられる奈良大学の千田嘉博博士によれば、「安土城の天主台の石垣の高さは10mを超えていた。その上に7階建ての建物をつくる基礎を石垣でつくる技術はよほどのもの」なのだそうで、まちがいなく当時としては最先端の技術だったとのことです。

織田信長から命を受け石垣造りを担ったのが、かの有名な穴太衆(あのうしゅう)です。

彼らは信長の求める高い要求に応えることのできた最先端の技術者集団だったのです。

その後、穴太衆は城づくりには欠かすことのできない存在となって、各地の武将たちは奪い合うようにして穴太衆を召し抱えていきました。

さらにその後、徳川家康の時代になって全国的な築城ラッシュを迎えると、石垣をつくる職人は「穴太方(あのうがた)」と総称されるようにまでなりました。

その我が国の誇るべき技術者集団「穴太衆」の末裔が今もおられます。

滋賀県大津市坂本にある粟田建設さんです。

坂本といえば、信長が明智光秀に与えた領地で、今もなお「石積みのまち」と呼ばれています。

その粟田建設の社長であられる粟田純徳さんこそが、第15代穴太衆頭です。

粟田建設の従業員は社長を含めて3人で、現在はお城や神社の修復を主な仕事にされているようです。

お城では、安土城のほか、彦根城、竹田城、今治城、和歌山城、岩国城、大和郡山城等々、神社では滋賀県大津市の日吉神社などです。

しかしながら今、15代目穴太衆頭(粟田建設社長)の粟田さんは、廃業の危機と闘われています。

昨今では、大手ゼネコンがお城の工事に参入しはじめ、れいのごとく一般競争入札という「安かろう悪かろう競争」によって、入札に競り勝てないそうです。

そもそもからして、長引くデフレによって仕事量が減っているというのに。

現在、15代目のご子息は小学生なのだそうですが、このままではご子息に16代目を継いでくれと言うことはできない、とのことです。

といって、15代目の穴太衆頭は、ただ座して廃業を待っているわけではありません。

石垣の新たな可能性を見出すため、現代建築と石垣のコラボレーションや、海外での石垣(穴太積み)の普及など様々な努力を為されています。

そこで注目すべきなのが現代建築上の石垣(穴太積み)の強度だそうです。

2003年、滋賀県甲賀市の東海自然歩道の擁壁工事をめぐって「コンクリート擁壁」と「穴太衆の石垣(穴太積み)」の、どちらの強度が高いか、という実験が土木工学の権威であられる京都大学の大西有三名誉教授監修のもとで行われたそうです。

その結果・・・

コンクリートの擁壁は200トンの荷重でひびが入った一方、穴太積みの石垣は250トンの荷重にまで耐えることができたそうです。

しかも穴太積みの石垣は崩れることもなく、たった13センチのズレが生じた程度の粘り強さだったそうです。

おそるべき穴太衆の技術です。

以後、大学、博物館、個人住宅、住宅分譲地の擁壁などなど、それぞれの用途に応じて穴太衆の石垣が採用されるようになっているようです。

法隆寺を造った金剛組が今尚かろうじて残っているように、これまで継承されてきた我が国独自の技術を簡単に喪失することは絶対に許されないことです。

穴太衆の技術であれ、金剛組の技術であれ、これらを廃れさせることがあるとすれば、それらはすべて政治の責任です。

技術力は国力(経済力)の源泉なのですから。

ここがポイントで、おカネは国力(経済力)の源泉ではありません。

おカネは日本銀行が発行できますが、日本銀行に石垣(技術)を造ることはできません。

所得(おカネ)をつくるのは技術の方です。

よって、おカネだけを殊更に重視するネオリベラリズム(新自由主義)、グローバリズム、デフレ、及びデフレ期の緊縮財政、これらはすべて技術継承の敵なのです。

何度でも言います。

土木や建築の技術力及び供給能力は、我が国の防災安全保障の根本を担っています。