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議会報告 政治・経済

日ロ交渉、領土問題に進展なし2016/12/17    

領土問題に進展が期待された日ロ交渉でしたが、まことに残念です。

『日ロが共同経済活動へ交渉、領土問題は「困難な道」と安倍首相
http://jp.reuters.com/article/2ndmeeting-abeputin-idJPKBN1450E1

安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領は16日、2日間にわたる首脳会談を終え、60以上にわたる経済協力事業を進めることで合意した。一方で、日本が最重要課題に位置付ける領土問題に関連して一致したのは、4島における共同経済活動に向けた交渉の開始のみ。(後略)』

『自民幹事長「国民がっかり」=日ロ交渉に異例の不満
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016121600877&g=pol

北方領土交渉が焦点となった15、16両日の日ロ首脳会談について、与党内では好意的な意見が出る一方、目に見える成果がなかったとして不満の声も上がった。自民党の二階俊博幹事長は党本部で記者団に「国民の大半はがっかりしていると心に刻んでおく必要がある」と述べた。与党幹部が外交交渉にあからさまな不満を示すのは異例だ。(後略)』

まぁそもそも、相手はロシアです。

一筋縄、二筋縄ではいかない相手ですので、そんなに簡単な話でないことは承知しておりますが。

それに古今東西の歴史をみても、「戦争抜き」で領土が戻ってきた事例などそうそうありませんし。

トランプがアメリカの次期大統領になって米ロ関係が修復され、ロシアに対する経済制裁が緩和・解除されるのであれば、ロシアが日本に対して譲歩する理由などありません。

アメリカ大統領選挙の結果が、プーチンを強気にさせてしまったようです。

ただ改めて、私たち日本国民は歴史的な事実(経緯)についてしっかりと認識しておくべきだと思います。

まず、1807(文化4)年、北海道がまだ「蝦夷地」と呼ばれていたころ、徳川幕府が北海道を直轄地にしています。

その後、1855(安政元)年、『日露和親条約』が締結され、日露両国は国境について次のような取り決めをします。

千島列島における日本とロシアの国境を択捉島と得撫(ウルップ)島の間とし、樺太(サハリン)については国境を画定せず、それまでの慣習どおり日本とロシアの雑居の地とする。

更にその後、国境が画定していなかった樺太を巡ってロシアとモメゴトが続きます。

そこで1874(明治7)年、明治政府は榎下武揚(えのもと たけあき)を特命全権公使としてロシアに派遣します。

交渉の結果、1875(明治8)年に『樺太・千島交換条約』が締結されます。

この時点で、千島全島は日本領、樺太はロシア領とすることで国境が画定しています。

なお、1905(明治38)年、日露戦争に勝利した我が国は『ポーツマス条約』によって、ロシア帝国から樺太南部を譲り受けます

1951(昭和26)年、大東亜戦争に敗れた日本は『サンフランシスコ講和条約』で、樺太南部及び千島列島に対する全ての権利を放棄します。

放棄したのですが、ここが重要です。

ここでいう千島列島とは得撫(ウルップ)島以北のことであり、択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島は含まれていません。

なおかつ、日本は得撫(ウルップ)島以北の千島列島の領有権を放棄したのであって、ロシア(当時はソ連)に領有権を譲渡したわけではありません

そもそもソ連は『サンフランシスコ講和条約』に署名しなかったため、条約上の権利を主張することすらできません

なので、ソ連に不法占拠されるまで、択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島の北方4島が外国のものになった事実(歴史)は一切ありません。

さらに重要なのは、『サンフランシスコ講和条約』に署名していないロシア(当時はソ連)に対して、私ども日本国は「戦後賠償権」を放棄していないということです。

本来、このことは大きな「外交カード」のはずです。

残念ながら、政治家や学者や評論家の類で、このことを主張する人がいないですね。

戦後賠償権どころか、領土問題の進展なしで、経済協力という果実だけを掠め取られようとしています。

どこぞやの国のように、在日ロシア大使館の前に「シベリア抑留者像」を建てろ、とは言わないけれど、主張すべきは主張しないと・・・